【追悼】高倉健の名作は映画やドラマだけじゃない!高倉健CMまとめ
2016/08/01
NANAT197
高倉健さんの笑顔はとてもチャーミングですね。
名前:小田 剛一
生年月日:1931年2月16日~2014年11月10日
出身地:福岡県中間市
身長:180 cm
出身校:福岡県立東筑高校→明治大学商学部商学科
高倉健さんの出身地が福岡県である事や身長が180cmと長身だったとは意外でした。
日本を代表する映画スターで、半世紀以上にわたり活躍してきた。代表作は映画『日本侠客伝シリーズ』、『網走番外地シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』、『新幹線大爆破』、『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』、『野性の証明』、『南極物語』、『ブラック・レイン』、『鉄道員(ぽっぽや)』、『あなたへ』など。2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章した。
高倉健さんの代表作で一番記憶に残るのは「南極物語」で壮大なスケールの映画でしたね。
最も男らしい俳優とも言える高倉健さん、たくさんの方に悼まれつつ2014年11月10日「悪性リンパ腫」ため享年8.3歳で亡くなりました。
駅「STATION」~それはまさに英次(高倉健)と桐子(賠償千恵子)の終着駅
オリンピックの射撃選手でもある刑事と3人の女性の宿命的出会いと別れを3部構成で描いた人間ドラマ。1967年。警察官の英次は過酷な仕事とオリンピックの射撃選手として練習が続いたことが原因で妻・直子と離婚した……。1976年。オリンピック強化コーチのかたわら、連続通り魔を追う英次。犯人として浮かんだ吉松五郎を捕まえるため、妹のすず子の尾行を開始する……。1979年。故郷の雄冬に帰る英次だったが、連絡船が欠航となったため仕方なく居酒屋“桐子”に入る……。
英次(高倉健)の別れた妻、直子役のいしだあゆみさん
冒頭の銭函駅での英次(高倉健)との別れのシーン、涙をため笑顔で敬礼をする姿が印象的でした。
英次(高倉健)が追う事件の重要な鍵を握る、すず子役の烏丸せつこさん
映画の中心舞台となる増毛駅の目の前にある「風待食堂」で働き、英次(高倉健)が追う事件の犯人の妹役を熱演。
英次(高倉健)が想いを寄せる居酒屋「桐子」の女将、桐子役の賠償千恵子さん
クライマックスシーンである大晦日の夜、居酒屋「桐子」で英次(高倉健)が桐子(賠償千恵子)を抱き寄せ「舟唄」を聞いている情感溢れる演技が圧巻でした。
劇中歌「舟唄」は知る人ぞ知る八代亜紀さんの名曲、日本海の荒波のような人生を綴った駅「STATION」や高倉健さんの生涯を物語るにふさわしい名曲と言えるのではないでしょうか。
1981年頃の旧駅舎
あの駅の向こうから今にも高倉健さんが歩いてきそうな街並。
現在の駅舎
北海道で最初の鉄道として手宮駅 - 札幌駅間が開通した際に、これに合わせて開業した、北海道で最初の駅の1つである。他の多くの途中駅が乗降客がいるときだけ列車を止める簡易駅(フラッグストップ)であったのに対して、銭函駅は当初から正式な駅であった。駅名の由来は、ニシン漁で栄えた地区で当時はどの漁師の家にも銭箱が積まれていたから、とする説がある
北海道でも銭(お金)が貯まるご利益があるとブームを呼んだ駅のひとつ、現在は自動改札機が設けられているが、訪れる客も少なく時が止まってしまったかのように佇んでいる。
「陸の孤島」とも呼ばれた雄冬集落
雄冬には鉄道の駅はなく、以前は「増毛港」から船で渡るしかなかった、駅「STATION」でも主人公英次(高倉健)が雄冬へ渡る際、「増毛港」が使われている。
現在の交通手段は日本海沿いのオロロンラインを通り車で行くか、沿岸バスを利用するしかない。
雄冬岬(おふゆみさき)は北海道石狩市浜益区(旧浜益村)の国道231号線沿いの雄冬海岸に位置する断崖の中にある岬である。この地域一帯は厳しい断崖絶壁の中に位置しており、道路が未整備で訪問が著しく困難であったことから「北海道三大秘岬」の一つとされていた(ちなみに後の二つは室蘭市の地球岬、根室市の落石岬)。秘岬といわれるだけあり、岬からの眺望は日本海の雄大さと周辺の荒寂ぶりがかなり印象的と言われている。
雄冬神社
英次(高倉健)の妹(古手川祐子)が結婚式を挙げた場所。
雄冬岬脇にある「白銀の滝」
雄冬(おふゆ)は雄(男)の冬と書くように、雄冬岬脇には男らしさの象徴のような「白銀の滝」があり、道行く人は必ず足を止める名所のひとつでもあり、男らしい高倉健さんにふさわしい滝とも言えます。
クライマックスにふさわしい、無人の終着駅
駅名(マシケ)の由来はアイヌ語で「かもめの多い所」と言われる通り、新鮮な魚の住む漁港がある町と言える。
映画の影響もあり「増毛」という名前から髪の毛が薄い方にご利益があると当時は「切符」を求める人が絶えなかった。
すず子(烏丸せつこ)が働いていた風待食堂
元々は雑貨屋で「多田商店」という名前だったが、映画撮影の為用いられた「風待食堂」の名をそのままに現在は映画「駅」のシーンパネルが飾られ名所のひとつとなっている。
今も高倉健さんはここで風を待ちながら海を見つめているのかもしれません・・・。
こうして舞台となった駅や場所を振り返ってみると、あの「舟唄」が聞こえてきそうな所ばかりです。
まさに高倉健さんが息づいている町と言っても過言ではないでしょう。
そして高倉健さんの出身地が北海道と思われている人も多いのではないでしょうか、それほどまで北海道と言えば高倉健と代名詞とも言える俳優でした。
こういった駅や町があってこそ名曲が生まれ、駅「STATION」での高倉健さんの魅力をさらに引き立ててくれたと感じております。
高倉健さんの面影を偲んで、この夏是非訪れてみては如何でしょうか。
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