2017/04/29
まぁどん
2015/06/18 更新
日本のベテラン歌手・俳優の西城秀樹さんは、今年で60歳になります。
西城秀樹さんの姉に当たる木本絵里子さんには黒いエピソードがあります。
実は、西城秀樹さん姉、木本絵里子さんの愛人、宅見勝さんの職業は「暴力団」であり、悪名高い山口組の若頭だったのです!!
西城秀樹さんといえば、「新御三家」としてお茶の間を賑わせた昭和のトップスター。
しかし、今の若い人にとってあまりなじみのある人物ではないのかもしれません。
今回は西城秀樹さん本人とともに、西城秀樹さんの姉について紹介していきます。
しかし、西城秀樹さんと姉とのつながりはほとんどないといっても過言ではありません。
そこでまずは、姉の情報の前にある程度誰にでも西城秀樹さんについて知ってもらえるよう、
西城秀樹さんの紹介からいたします。
西城秀樹さん
生年月日:1955年4月13日
活動内容:俳優/歌手
ジャンル:JPOP
テレビ番組にも多数出演している西城秀樹さん
ライブ活動を行う西城秀樹さん
西城 秀樹(さいじょう ひでき、1955年4月13日 - )は、日本の歌手、俳優。本名は木本 龍雄(きもと たつお)。広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。身長181cm。
広島駅近くの東蟹屋町 (現東区東蟹屋町) に生まれる。父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、ジャズスクールに通ってドラムを勉強した。5年生の時に兄とエレキバンドを結成。山陽高等学校時代、ジャズ喫茶でバンド出演時にスカウトされる。父親が頑固で厳しい人であったため芸能界入りを猛反対。その反対を押し切り、家出同然で広島から上京。芸能事務所「芸映」に所属。明大中野高等学校定時制へ転校する。
父親と兄に関する情報があるため、幼いころは姉とも同じように過ごしていたのではないでしょうか。
しかし、西城秀樹さんはそのあと家族を残して上京。
もしかすると、西城秀樹さんと姉の関係が薄く、語られていないのはこれがきっかけなのかも
しれません。
1972年3月25日、ビクター音楽産業(RCA)よりシングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビュー。片仮名の「ヒデキ」が愛称となる。
当時、西城秀樹さんがどれほど人気だったのか、当時を知るファンの声や、
その栄光に隠れた挫折や困難のエピソードを紹介します。
西城秀樹さんの若いころ
秀樹さんの若い頃はイケメンでしたよ。当時のイケメン顔は甘いマスク(死語)か、バター顔(ハーフっぽい日本人離れした顔)のような感じや目がクリクリした爽やか青年がイケメンでしたが、秀樹さんはちょっと違って 野生的で爽やかでした。
「ひでき~!!!」
「ちびまる子ちゃん」のお姉さんが大好きなスター歌手「ひでき」は西城秀樹さんのことです。
RT @kykizm: @no1hdk1 @DyahNovaEra @bellringss @ranransan @mokorin37 西城秀樹のイケメンぶりがハンパないです。 http://t.co/X8cBEjYlEg
Fri May 29 13:43:48 +0000 2015
2003年6月21日、つんく♂がプロデュースを担当した85枚目のシングル「粗大ゴミじゃねぇ」発表直後、公演先の韓国で脳梗塞を発症する。軽度の言語障害の後遺症は残ったが、闘病の末復帰し、2006年9月27日、3年ぶりに「めぐり逢い/Same old story - 男の生き様 -」が両A面で発売された。2011年12月20日、脳梗塞の再発との診断を受け、2週間程度入院する。右半身麻痺と微細な言語障害の後遺症が残ったが、その後は快方へ向けてリハビリに励み、徐々に歩行の状態など改善されている。[4][5]
西城は後遺症として発病後1、2年は軽いうつ病にかかっていた事を明かし「このまま息が止まればいいなと思った。自殺をしようとは思わなかったけれど、苦しさから逃れたいというのはあった」と告白。
西城秀樹さんご自身の家系については姉を含めて本人からも明言されていませんが、
西城秀樹さんがご家族を大切にするのは、姉をはじめ身内の不祥事から来る思いなのかも
しれません。
西城秀樹さんの家系について、情報があるのは姉についてのみ。
しかし、この姉についてもよくわかっておらず、今わかっているのは
西城秀樹さんの姉がヤクザと関わっていたことだけです。
宅見 勝(たくみ まさる[1]、1936年6月22日[2] - 1997年8月28日[3])は、日本のヤクザ。指定暴力団・五代目山口組若頭[4]。宅見組組長[5]。兵庫県神戸市出身[6]
宅見勝さんの名前は、宅見勝さんが殺された殺人事件でとても有名。
しかし、西城秀樹さんの姉は、弟にあたる西城秀樹さんとは対照的に影の存在。
姉の情報は「宅見勝さんが西城秀樹さんの姉と出会った」こと、
「西城秀樹さんの姉が宅見勝の愛人だった」ことぐらい。
山一抗争(1984年 - 1989年)、八王子抗争(1990年)、山波抗争(1990年)、および中野会会長襲撃事件(1996年)などの各種暴力団抗争や、山口組五代目跡目問題(1988年 - 1989年)などに当事者として関与。1997年に宅見若頭射殺事件で殺害された。
宅見若頭射殺事件(たくみわかがしらしゃさつじけん)とは、平成9年(1997年)8月28日午後3時20分ごろ、兵庫県神戸市中央区の「新神戸オリエンタルホテル」のティーラウンジで、当時五代目山口組(組長は渡辺芳則)のナンバー2にあたる若頭だった宅見勝が、五代目山口組中野会財津組に指揮された4人に射殺された暴力団抗争事件。
この事件は今でも語られる国の危険な裏事情の1つ。
当時も大ニュースになりました。
この頃、大阪市南区玉置町のクラブ朱雀で木本絵里子と出会う
(西城秀樹の実姉)1979年二人の間に男子が誕生(宅見将典)
絵里子には4歳の女の子(宅見まり)がいた。
西城秀樹さんの姉と宅見勝さんの間に産まれた宅見まりさんは
映像メディアに出たことがあるので顔が割れた人物です。
しかし現在の消息は不明で、写真などの姿の情報もありません。
「山口組」といえば、暴力団を扱った番組では必ずといってよいほど題材にされる犯罪組織。
現在、山口組の勢力はどうなっているのでしょう。
山口組(やまぐちぐみ[1])は、兵庫県神戸市に本部を置く暴力団。広島県と沖縄県を除く45の都道府県に総数1450の系列組織を置いている(2011年時点)[2]。
下部団体を加算すると、構成員数は2012年の時点で約13,100人、準構成員数は約14,600人、合計およそ27,700人となる。これは全暴力団構成員・準構成員数およそ63,200人のうちの43.8%を占め[3]、日本最大規模の指定暴力団[4]組織である。
米経済誌『フォーチュン』の推計(2014年)では、世界のあらゆる犯罪組織の中で最大の収益力を有する組織であるとされ、麻薬の密売や賭博などの非合法ビジネスによる総収入は年間およそ800億ドル(約9兆4000億円[5])に達する[6]。これは2位のロシアンマフィアのほぼ10倍、3位のイタリアマフィアの20倍の規模にあたり、タイの国家予算に匹敵する[7]。
つまり、世界中の犯罪組織の中でももっとも裏ビジネスで成功している組織といえます。
基本的に、西城秀樹さんのような有名芸能人には「裏の顔」があるといわれており、
その背景にはたびたび山口組のような犯罪組織が絡んでいます。
そして、その関係性がメディアなどに晒され、追放された芸能人も少なくはありません。
遠い関係だったとはいえ、姉がヤクザの愛人であった西城秀樹さんについては
悪いうわさがありません。
このことに関して疑問をもつネットユーザーの意見を紹介します。
島田紳助がアウトなら西城秀樹もアウトじゃないの?
セーフとアウトの境とは?島田紳助さんが引退するのなら、身内に組関係者がいる芸能人はなぜ引退しないの?
ここでいう身内とは「姉」のことですが、そもそも姉の消息は不明。
姉が今だに組の関係者として生存している可能性も疑いが持たれます。
たとえ親戚でも、全く交流のない親戚もいると思います。違う世界にいる同士なので、交流がないこともあるのではと思います。
島田さんの場合は現に交流があったらしいので引退したのではないでしょうか。
西城秀樹さんの場合はたとえ身内に組織の関係者がいたとしても西城秀樹さん本人が
何か組織と関係があるわけではないので”干される”ようなことにはならないのだとしています。
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