B'zの稲葉浩志さんには子供がいて・・実は良きパパなのです☆
2015/10/08
まぁぴょん
2018/10/20 更新
「B'z」のメンバーであり、現在もその活動を続けている稲葉浩志さん。一度離婚し、新しい奥さんとの間に子供ができたのが2003年のことだそうです。あまりプライベートのことは明かさない主義である稲葉浩志さんですが、数々の子供への溺愛エピソードを紹介します!
昨今では育児に励むかっこいい男性のことを「イクメン」などといいますが、
子供への凄まじい愛情を隠さない稲葉浩志さんは正真正銘のイクメン。
子供を持つまでのきっかけや、子供を授かった奥さんと、子供とのエピソードなどを紹介!!
まずはプロフィール/経歴から紹介します。
実は、稲葉浩志さん、すでに50歳なのです。
しかし、50を過ぎた今でも音楽活動にいそしんでいる若々しさ。
そこにはとあるわけがあります。
まるで「ケンシロウ」の実写のような雰囲気ですね。
おそらく何かしらのトレーニングをしているのでしょう。
特に年齢上ライブ活動などは体力的に厳しくなってきます。
さらに、稲葉浩志さんは持ち前の30秒伸びるといわれるロングトーンがありますから
それだけの肺活量、筋力が必要なのですね。
また、子供という守るべきものができたのも大きいでしょう!!
稲葉浩志さんの所属するB’zは特に90年代に猛威を振るいましたね。
時を同じくして活躍した「GLAY」もまた、ビジュアルバンドです。
こうした共通点あってか、B'zとGLAYはコラボ出演も多数あります。
そんな稲葉浩志さん、ソロ活動の際には作曲、ギター、音楽プロデュースなども手掛けています。
B'zとして、稲葉浩志さん個人として、編曲活動にいそしんでいます。
ただ、先ほどもいったように稲葉浩志さんのすごさはその声量、声域の広さ、
ロングトーンの強さにあります。
これほどのことができる50歳はなかなかいないですよ!!
当時大学生で歌手を志していた稲葉さんは音楽雑誌『ロッキンf』に目を通していたところ、音楽制作会社ビーイングが主催していたボーカルスクール「ビーイング音楽振興会(現・Being Music School)」のスクール生募集の広告が目に留まった。
その欄に当時ファンであったLOUDNESSなどのアーティストの名前が明記してあったため、「ここだな!」と思いボーカルスクールに通い始めたのが最初である。
スクールに入所してしばらくすると、稲葉をデビューさせるためのプロジェクトが発足し、通称「稲葉バンド」というバンドも結成された。
そのバンドには、後にB'zのサポートベーシストとなる明石昌夫も在籍していた。
しかし、ライブ活動をするわけでもなく、メンバーもコロコロと変わり、結局自然消滅した。
稲葉はその時期に、あるメジャー・レーベルのオーディションを2つのバンドで受けたが、どちらも受からなかったという
しかしその後、稲葉さんの歌が収録されていたデモテープが松本孝弘の耳に留まる。そして松本が稲葉を誘いB'zを結成、1988年9月にデビューとなる。
どうしてかバンドとして成功する大物たちの活動のきっかけというのは
割と何気ないものが多いものです。
もし松本孝弘さんが稲葉浩志さんに対する観察眼がなければB'zや、今の稲葉浩志さんは
いなかったことになります。
先述の通り、松本孝弘さんが稲葉浩志さんの才能を見込んでB'zが結成されたのです。
また、松本孝弘さんがすでに入力した曲に対して稲葉浩志さんが編曲したりするなど、
まさにB'zは「にこいち」の関係!!
B'zは今年2015年もライブやアルバムリリースなど勢いが止まりません!!
大学の卒業アルバムに掲載された稲葉さんの写真です。
このころから今のような「ムキムキ」感はないようですが、このときからすごかったわけではないようですね。
やがて全盛期を迎えるB'z。
稲葉浩二さん、このあたりから首が太くなってきているような気がします。
B'zの現在の姿。
着ている衣装は相変わらずビジュアル系そのもの。
この衣装、ともに50歳周辺のオヤジが来ていると考えるとなかなか思うところがありますが、なぜか違和感がありません。
アメリカの人気ロックバンド「エアロスミス」とコラボするB'zのお二方。
GLAYのほかにも、海外のロックバンドともコラボを行えるということは、B'zは世界的にも顔が広いようです。
1988年松本孝弘と結成した音楽ユニット・B'zとしてデビューし、現在に至る。
B'zの曲では「Nothing To Change」以外の全ての楽曲で作詞している。
同年に発売された前田亘輝(TUBE)のソロアルバム『Feel Me』では初めて楽曲を提供し、作曲家デビューを果たす。
B'zの場合は、曲先(松本の作った曲が既にある状態から歌詞を書く)で、ソロの場合は、曲先と詞先(歌詞を先に書き、その歌詞に曲を付けていく)を使い分けます。
一旦、全て英語で仮作詞を行い、少しずつ日本語詞に置き換えていくという方法をとっていたが、近年では初めから日本語で書くことも多いそうです。
近年では応援歌や人生訓的、社会批判的な歌詞も増えてきており、作詞家としての幅も広い。
恋愛をテーマとした歌詞の場合でも、シチュエーションは多様だが、ほとんどは女性上位で尻に敷かれているような男性を主人公に置く事が多い。
それ以外では、己の不甲斐無さ、未熟さを憂う自虐的・自省的な歌詞も度々登場する。
この曲のスタイルの変化はやはり稲葉浩志さんが家庭を築き、子供ができたことが
心理的背景にありそう。
ひょっとして、家庭内での稲葉浩志さんは、この曲中のような人物なのでしょうか。
今と異なり、昔は声にも歌詞にも若々しさがあったB'z。
その代表曲はやはりこの曲。
さて、B'zとしてずっと活動を行ってきた稲葉浩志さん。
2003年についに子供を授かります。
しかし、子供ができるまでは前の妻との離婚や新しい妻との再婚など
さまざまな紆余曲折がありました。
そこでできた子供ですから、守りたくもなって当然です。
ANA(全日空)国際線スチュワーデスだった鈴木文子さん(注・仮名)と、東京・六本木のマンションで同棲の後、極秘で結婚しました。 入籍したのは一昨年、'94年6月。
前の奥さんの詳しい情報や本名はわかりませんが、どうやら一般の方のようです。
そんな稲葉浩志さんは、再婚を果たしており、現在の奥さんは蓬田美奈子さん。
こちらも詳しいことは分かりませんが、稲葉浩志さんの現在の妻の蓬田美奈子さんは もともとグラビアアイドルの経歴があるようで、美人だと評価されています。
2003年には、お二人の子供が生まれたことも話題になりました。
参考:蓬田美奈子
あまり画像のないなか、唯一姿がよく確認できるショット。
松崎しげるの元奥さんのようです。
つまりお互いが似た境遇なのですね。
稲葉浩志さんはしばしば、自分の家族と子供に関して、とりわけ子供に関する愛情を
ネットなどで伝えています。
稲葉浩志の子供への愛情がうかがえる名言/エピソード集を用意しました!!
「結婚というのは本当に難しいものです。
自分自身も一度離婚を経験しましたし。
現在は新しい嫁と人生ができ、これからが楽しみだね。」
「自分にとって嫁や子供というのはやっぱり宝物。
子供なんて可愛くて仕方ないですね!
普段はロックな感じが強い僕ですが、家では全くの別人。」
「仕事終わりの子供は格別に可愛いね!」
「仕事終わりのビールは~」とならないところが稲葉浩志さんらしいですね。
『3月中旬の午前9時すぎ、メガネをかけ、髪をなびかせて颯爽と校門を入って行ったB’zの稲葉浩志(50歳)。
この日は長男(12歳)が通う名門私立小学校の卒業式だ。その傍らには、妻(51歳)がピッタリ寄り添っていた。』
稲葉浩志さんも奥さんも、子供が愛しくて仕方ないんですね。
『式が終わったのは、昼11時40分ごろ。
大勢の保護者たちが続々と校庭へと出てきた。
わが子の記念写真を撮ろうとする人々の中に、稲葉がいた。
夢中で息子の雄姿を撮り続ける“奮闘パパ”の姿に、傍らの妻も幸せそうな表情を浮かべて見守る。』
今回ばかりは「撮られる側」を辞めて「撮る側」になった稲葉浩志さん。
子供に必死になるその姿は、さぞ微笑ましいものだったでしょう。
『12時55分、記念撮影を終えた稲葉は1人、校門から出てきた。両手には青いファイルやブックスタンドなど、長男の学用品を抱え先に帰ることにしたようだ。』
子供の学用品を持ち帰ってあげる優しいお父さんの姿が浮かびますね。
この子供にまつわるエピソードは現場のみならず、ネットでもすぐに反響を巻き起こしました。
「こんなパパ羨ましい〜」
「入学式の時に撮影された稲葉さん。(ってことは6年前?!)こんなパパ自慢だよねー」
「自慢のお父さんだろうなあ。スーツ姿も素敵」
B'zとして、ソロの歌手として、そして子供を愛するパパとして、
稲葉浩志さんはそのすべての面において素敵なファンに囲まれています。
お子さんの健やかな成長を願うとともに、今後の稲葉浩志さんの活躍にも注目です。
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稲葉浩志(いなば こうし)
生年月日:1964年9月23日
出身地:岡山県
身長:173㎝
職業:ミュージシャン、音楽家、作詞作曲家、音楽プロデューサー
ジャンル:ロック系