叶美香の年齢は48歳!1967年(昭和42年)生まれだったことが判明!
2015/11/05
グリ777
吉永小百合
誕生日:1945年3月13日(年齢:70歳)
本名:岡田小百合
星座:うお座
出身地:東京都渋谷区代々木西原町
身長:157cm
出身校:早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、学位は文学士
配偶者:フジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎氏
1957年、小6の時、ラジオ東京の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。
同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
1959年、松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
吉永小百合さんのファンは「サユリスト」と呼称されるほど、圧倒的な人気を誇る女優。歌手としても、吉田正(作曲家)の門下生として数多くのレコードを世に送り出している。
いつまでも清楚で美しい吉永小百合さんですが、なんと70歳という年齢になられたそうです。驚異的な美しさですね!
杉良太郎
誕生日:1944年8月14日 (年齢70歳)
本名:山田勝啓
星座:しし座
出身地:兵庫県
血液型:O型
身長:178cm
体重:77kg
デビュー年:1965年
100万枚を超えるヒットとなった「すきま風」を持つ歌手であり、複数の時代劇に主演してきた。中高年女性層を中心に「杉様」の愛称とともに日本各地でディナーショーを主催している。
財団法人日本・ベトナム文化友好協会理事長。法務省特別矯正監。外務省日本ベトナム特別大使。ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使、ハワイ州ホノルル市名誉市長、シンガポール日本文化協会名誉会長、麻薬追放協会会長などの肩書を持つ。
おすぎ(おすぎとピーコ)
誕生日:1945年1月18日 (年齢70歳)
本名:杉浦孝昭
星座:やぎ座
出身地:神奈川県
血液型:A型
所属:プラムクリークス
1976年、オネエキャラを全面に出して映画評論家として、オールナイトニッポン (ラジオ・ニッポン放送)でデビュー。ファッション評論家のピーコは一卵性双生児の兄。
本業の映画評論では本名の杉浦孝昭の名義で活動。その他、美術専門学校卒の技能を生かし映画雑誌のレイアウトなどの仕事に編集者として携わる一方で、テレビでのタレント活動が、「おすぎとピーコ」として話題を呼んだ。
宮本信子
誕生日:1945年3月27日 (年齢:70歳)
星座:おひつじ座
出身地:北海道小樽市
血液型:O型
身長:157cm
配偶者:伊丹十三
長男:池内万作
所属:東宝芸能
趣味:小唄、ジャズダンス
1963年、高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所、同年、初舞台「三日月の影」で女優デビュー。翌年、劇団青俳に入団、舞台で活躍後はフリーとなる。
1970年代はTVドラマに脇役として多数出演。
1969年、映画での共演が縁で1969年に伊丹と結婚。
1984年、夫がメガホンを取った『お葬式』に主演しブレイク。
以降の伊丹作品に全て出演し、作品ごとに多彩で多様なキャラクターを演じ、国内の映画賞を多数受賞する。
みのもんた
誕生日:1944年8月22日 (年齢:70歳)
本名:御法川 法男
星座:しし座
出身地:東京都世田谷区祖師谷
血液型:A型
身長:167cm
体重:64kg
1967年、文化放送に入社。文化放送ではほとんどの期間をアナウンサーとして活動した。番組のパーソナリティやオールスター水泳大会』の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転。
1979年、文化放送を退社。
文化放送退社後は、父親が経営する水道メーター製造・販売会社「日国工業」に入社し、10年間全国を営業で回った。
その間、フジテレビに声を掛けられ、『なるほど!ザ・ワールド』の国内リポーターや、『オールナイトフジ』などに出演、コミカル系サブ司会者(コメディリリーフ的存在)として認知される。
1989年、『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会を担当することになったことで人気司会者の地位を築いた。
2013年、セクハラ疑惑騒動や次男の逮捕を受け、テレビ出演を自粛。
現在は自身の個人事務所である株式会社ニッコク代表取締役社長である。
松原智恵子
誕生日:1945年1月6日 (年齢:70歳)
星座:やぎ座
出身地:愛知県名古屋市
血液型:O型
所属:グランパパプロダクション
特技:日本舞踊、乗馬
身長:158cm
体重:45kg
1960年、高校生の時に日活が行ったミス16歳コンテストに入賞。副賞の撮影所見学がきっかけで1961年にデビューする。
日活時代は、主にアクション映画や青春映画のヒロイン役を演じた。1971年8月に日活の一般映画制作中断により日活を離れ、その後は主にテレビドラマに出演するようになる。
1960年代を代表する名古屋美人の一人で、吉永小百合、和泉雅子らと「日活三人娘」と呼ばれた。
一番左が吉永小百合さん
デビューのきっかけは吉永小百合さんの母、和枝さんが、ラジオ東京が公募していたラジオドラマ「赤胴鈴之助」のヒロイン「さゆり」役に応募したことでした。
当時、吉永小百合さんは小学6年生、11歳という年齢でした。
また、1959年には14歳という年齢で映画「朝を呼ぶ口笛」でスクリーンデビューも果たします。
父は、外務省を辞職して、独立して出版会社を設立しますが、倒産し、厳しい生活がはじまります。
一方、母、和枝さんは、女優、吉永小百合がデビューすると同時に、吉永小百合事務所を設立して、マネージャーとして、行動を共にされます。
また、父も、会社が上手くいかなかったので、吉永小百合さんのマネージャーのような行動もされたそうですが、小百合さんがとても嫌がっていたそうです。
お父様は東大法学部を卒業し外務省に入ったもののキャリア組には入れず嘱託として安月給で働いていたそうです。
辞職後、起業したものの会社はうまくいかず、結果的に吉永家の家計を支えたのは女優として働く吉永小百合さんの収入でした。
東京都渋谷区代々木西原町の出身。
渋谷区立西原小学校、 渋谷区立代々木中学校卒業、都立の名門校東京都立駒場高等学校入学。
その後、私立精華学園女子高等学校に(現在の 東海大学付属望洋高等学校)転入学したものの、多忙の為あえなく中退。
しかし、年齢20歳の時に、大学入学資格検定で高卒と同等以上の学力があると認められ、早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学、多忙の中4年間通い、次席で卒業。
吉永家には3人の女の子がいた。5学年上の長女は勉強好きで堅実な性格、長じて東京教育大(現・筑波大)から都庁に入り、児童心理カウンセリング畑を歩んで女性管理職になった。2学年下の妹は、おとなしく優しい性格で東京学芸大を出て、小学校の先生になった。
三姉妹の中で最も活発だった小百合は、三月生まれで小柄な体格にもめげず、小学校の学芸会などでは大活躍であった。男の子だけの相撲大会に出たいと駄々をこねるくらい男子とばかり遊んでいて、母がピアノを教え、また児童合唱団にいれても親が望む情緒ある女の子にはなりそうもなかった。
仕事にも追われ出席日数ギリギリ、さらに卒業論文の提出日が1月17日だったのですが、年末の仕事に追われ正月になった段階で1枚も論文が書けていなかったそうです。
そして〆切ラスト10日ほどで書き始め、提出日前日の16日夜は徹夜をして、提出するため大学へ向かう車の中で最後の1枚を書き上げて、〆切5分前に提出して、そのまま仕事現場に直行した綱渡りの卒論提出でした。その時の卒論テーマは「アイスキュロス“縛られたプロメテウス”とアテナイ民主政治についての一考察」という物で、評価は「優」卒論主査の平田寛教授によると提出された卒論の中で3番目の成績だったそうです。
デビュー当時から完璧なまでの美しさだった吉永小百合さん。
年齢を重ねてもその気品溢れる美しさは見事なまでに変わりません。
年齢70歳とは思えない美の秘訣はほぼ毎日続けているという水泳のおかげなんだとか。
美しさには理由があるんですね!
清楚でおしとやかな印象ですが実は努力と根性の大女優、吉永小百合さん。
今後も末永く活躍していただきたいですね!
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