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松岡修造さんの子供時代、エリートコースからの逸脱した軌跡?

ポジティブ思考で熱い男、松岡修造さん。子供時代は、今の松岡修造さんからは、想像もできない日々を過ごしていたようです。そんな子供時代を過ごした松岡修造だからこそ、数々の名言が生まれたのかもしれません。テニスに出会った頃からの松岡修造少年に会いに行きましょう。

松岡修造さんといえば

現在、スポーツキャスターやタレントとしても活躍している、松岡修造さん。
テニスを志す子供たちに熱血指導をするシーンが印象的です。

「毎日 修造カレンダー」でも熱血な言葉を掲載しており、CMでも松岡修造さんの熱いキャラクターが際立っています。

そんな松岡修造さんの子供時代。
今の熱い松岡修造さんからは想像もできない子供時代だったようです。

松岡修造さんのここが凄すぎプロフィール

松岡修造さん

1967年11月6日生まれ

元プロテニス選手、テニス指導者
スポーツキャスター、タレント

日本人男子として62年ぶりにグランドスラム、ベスト8に進出しました。
ウィンブルドン選手権での通算7勝は、2015年に錦織圭に抜かれるまでは、日本人最多の記録となっています。

有名になった日めくりカレンダー毎日修造では、「考えろ!考えるな!」「今日から君は噴水だ!」など数々のポジティブ名言の数々・・・。
そんな言葉の数々を生み出し、TVでも情熱的な松岡修造さん。子供のころは、どんな性格だったのでしょうか。

華麗なる一族の子供として生まれた

松岡修造さんの華麗なる一族

父 松岡功(東宝名誉会長)
母 千波静(宝塚歌劇団卒業)
兄 松岡宏泰(東宝東和社長)
祖父 松岡辰郎(東宝会長)
曽祖父 小林十三(阪急東宝グループ創業者)
曽祖叔父 田邊宗英(後楽園スタディアム社長)
曽祖叔父 田邊七六(衆議院議員)
従祖叔父 田邊圀男(総理府総務長官)
従叔父 鳥井信一郎(サントリー社長)
従兄 小林公一(阪急阪神HD取締役)

もちろん、松岡修造さんは、子供のころは超エリートコースへ突き進むであろうと、ご両親は期待していたことでしょう。

現在、東宝名誉会長をしている松岡修造さんの父親。
実は、元テニス選手だったんです。
しかも、腕前は本格派!
松岡修造さんの父親は1955年の全日本年間ランキングでは3位を記録する、まさに国内トップ選手。

しかし、松岡修造さんの父親は華麗なる一族ゆえの宿命。
家業を継ぐために、大学卒業とともに、テニスから身を引いたとのことです。
そんな松岡修造さんの父親ですが、松岡修造さんが子供のころは、自分がテニス選手だったことは、一切話さなかったようですよ。

テニスと出会った子供時代

松岡修造さんも子供のころは、父親とテニスの関係を知らなかったようです。
松岡修造さんが、初めてテニスを始めたのは、8歳の子供のころ。
3歳年上の姉がテニスを始めたのを見たのが、きっかけだそうです。

1歳年上のお兄さんとともに、テニスを始めますが、子供時代の松岡修造さんは、それが、なかなか上達しなかったらしいです。

現在の松岡修造さんは、188㎝もあり、体格もガッチリとしていますが、子供時代の松岡修造さんは、身長が低く、丸々と太っていたとのこと。

おまけに、子供時代の松岡修造さんはいたずら好きなわんぱく坊主。なかなか、周りの大人を困らせていたそうですよ。

いっぽう松岡修造さんのお兄さんはというと、子供ながらに温厚で礼儀正しく、身長も高く、テニスセンスもあれば、注目されない訳がありません。

テニスコーチも松岡修造さんではなくお兄さんのほうに、より高度な練習をさせていました。それを見ている子供時代の松岡修造さんはコーチにお願いしたのです。

子供時代の松岡修造さん、自分にも教えて欲しいと懇願したものの、「修ちゃんは、ガッツがあっていいよ」と慰めの言葉をかけられるのみ。子供ながらに悔しかったでしょうね。
今の松岡修造さんからは、ちょっと意外な子供時代だったのです。

そんな、子供時代の松岡修造さんとお兄さん。
テニスセンスや性格の違いだけではありませんでした。学業に関しても、全く正反対だったようです。

子供時代の松岡修造さんのお兄さんは、本を読むことが大好き。学業成績はトップクラス。しかし、子供時代の松岡修造さんは、悲惨な状況でした。

授業はきかない、宿題はしない、成績も悪く、慶應義塾幼稚舎という、名門小学校にいながら、落第寸前。
松岡修造さんの子供時代は、母親も何度も学校に呼びだしをくらったとか。

子供時代の松岡修造さんが本気でテニスを打ち込むようになったのは、慶應義塾中等部になってからのこと。次第に頭角をあらわし、中学2年で全国テニス選手権大会で優勝しています。

いっぽう、松岡修造さんのお兄さんはというと、中等部に入ってからは、勉学優先にし、テニスは遠退いていったようです。

子供時代の松岡修造さん。その先は、今のようにテニスに情熱を燃やしますが、今いるのは、勉学の名門校。
「このままでは自分がだめになる。自分が本当に好きなものはテニスなんだ」
とテニスの名門校に転校するのです。

華麗なる一族の宿命、エリートコースを歩んでいた子供時代の松岡修造さんですから、両親が反対しないわけがありません。

説得は大変だったとききます。
それも、そのはず、華麗なる一族の子供として生まれ、華麗なるエリートコースを歩むはずだったのですから。

でも、子供時代からの、そんな意思の強さが、ご両親の心を動かしたのだと思います。
そして、その頃から、熱い男になりつつあったのかもしれませんね。

その後の、松岡修造さん。さらに「え!?そうだったの?」という波乱万丈がたくさんありました。しかし、ここでは、松岡修造さんの子供時代だけに的を絞っています。

松岡修造さんの子供時代、まとめ

子供時代は、わんぱくで大人を困らせ、テニスセンスも自信がなかった、という、松岡修造さん。
意外な子供時代に驚きましたが、順調でない人生から、様々な言葉が生まれたようです。

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