安めぐみの子どもが可愛いと話題に!名付け親が欽ちゃんて本当?
2016/07/03
gomachan
中井貴一さんの「子ども」について見ていく前に中井貴一さんのプロフィールについて見ていきましょう。
中井貴一(なかい きいち、1961年9月18日 - )は、日本の俳優・歌手。本名同じ。東京都世田谷区出身。オフィス貴貴所属。血液型はA型。身長181cm、体重70kg。成蹊大学経済学部卒業。
中井貴一さんは、世田谷区ご出身なのですね〜。どんな子ども時代だったのでしょうか。
経歴・人物[編集]
成蹊中学校・高等学校を経て成蹊大学経済学部卒業。父は佐田啓二で、小津安二郎により「貴一」と名付けられた。〔中略〕本格的に俳優としての活動を開始したのは成蹊大学在学中で、映画『連合艦隊』への出演でデビュー。同作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。後に出演したラジオ番組で中井は、「映画デビューに際して松竹の幹部に呼び出されたことがある」と語っている。それは、「佐田啓二という同社史に残る看板スターの息子であるにもかかわらず、中井を松竹からデビューさせることができなかった(『連合艦隊』の配給は東宝)」ことに対する謝罪であったという[要出典]。
小津安二郎さんが名付け親とは、すごい!なるほど、中井貴一さんのお父様の佐田啓二さんはかなり有名な俳優だったのですね〜。じゃあ、中井貴一さんは、子ども時代さぞ役者のサラブレットとされていたのでしょうか。
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中井貴一さんのお父様の佐田 啓二さんは大変有名な俳優さんとのことですので、調べてみました。
佐田 啓二さん
佐田 啓二(さだ けいじ、本名・中井寛一、1926年12月9日 - 1964年8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。
俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴恵は実子。
なるほど〜。なんだか、「日本映画界の大物感」が漂いますね。前傾の通りの甘いマスクでは、相当なものかもしれませんね。しかも、子どもの名付け親に、小津安二郎監督が出てきては、相当な方です。
来歴・人物[編集]
京都市下京区の商家に生まれる。京都市立第二商業学校(現・京都市立北野中学校)卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、松竹大船撮影所に入社する。芸名は、「佐野周二」の姓名から一文字ずつ譲り受けて名付けられた。
1947年、木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢される。田中とのラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得。続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマを映画化した『鐘の鳴る丘』に主演し、さらに人気を高める。
ほぼ同時期にデビューした高橋貞二、鶴田浩二と人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と言われた。その人気を決定的なものとしたのは、1953年に公開された『君の名は』である。
中井貴一さんのお父様は、相当すごい俳優だったのですね!「君の名は」は相当流行ったと聞きますから、その人気は大変なものだったのでしょうね。
1964年8月13日から夏休みを兼ねて妻と信州蓼科高原の別荘に避暑に訪れていたが、NHKドラマ『虹の設計』の撮影に参加する為に帰京する途中、8月17日午前6時30分頃、乗っていた車が前方車を追い越そうとした際に韮崎市韮崎町の塩川橋の欄干に衝突、さらに暴走して別の乗用車へも衝突する事故を起こした。佐田はこの事故で頭の骨と右腕を骨折し、すぐに韮崎市立病院に運ばれたが午前11時過ぎ頃に死去した[1][2]。37歳没。
この時車に乗っていたのは佐田を含めて4名で、運転手は頭を打ち2ヶ月の重傷、日刊スポーツ記者が顔の骨を折り1ヶ月の重傷、佐田の義弟が右肩に1週間の軽症を負った。出演中であった『虹の設計』は生前の映像のコラージュにより製作された。葬儀は8月22日午後2時より青山葬儀場にて行われ芸能関係者や一般のファンなど千人近くが参列した。
墓所は田中絹代と同じ鎌倉・円覚寺にある。
なんと……。これは、子どもだった中井貴一さん、トラウマになったでしょうね……。
鎌倉・円覚寺
さて、本題の中井貴一さんの「子ども」について、話を戻しましょう。
若くして亡くなった父の年齢を自らが越えたことで、それまでの独身生活との決別を決め、2000年の誕生日に結婚した。アンティーク時計を好み、父の時計を複数所有。
なるほど。お父様の亡くなった年齢を超えるまで、結婚はされなかったのですね。これは、父親のいない子どもが……。つまり、もし自分に子どもができたとして、自分の親のように早く死んでしまったら、子どもに申し訳ないから、ということでしょうか?中井貴一さん自身の、子ども時代のトラウマがあるのでしょうかね……。
中井貴一さんは38歳の時に一般の女性とご結婚されています。
奥様は外資系の会社に勤めていた一般の方で、石田えりさんにそっくり(ネットに画像がありますので気になる方は探してくださいね)の美しい女性です。
なるほど〜。それで、子どもさんはいるのですかね??
中井貴一さんの奥様は、石田えりさんにそっくりらしい。
もうすぐ結婚15年目になりますが、子どもはいないようですね。
奥様は今でもお仕事をされているそうで、良いパートナーという存在なのだそうです。
お互いを尊敬しあう関係で幸せですね。
なるほど。子どもはいないのですか。子どもは天からの授かりものですから、わからないものですね〜。
他のソースも当たってみましたが、やはり子どもはいないそうです。
これは今までの経緯からの憶測なのですが、ご自身のお父様は早くして亡くなったから、自分の子ども時代、大変悲しい思いをした。そこで、親が死んだ年齢を超えるまで待って大丈夫だと思って、子どもを持ってもいいかなと思って結婚されたのだと思います。しかし現実は、子どもができないという現状……。ただ、ひょっとしたら、中井貴一さんは、結婚してもなお、トラウマに左右されて、子どもを作るのをためらっているのかもしれませんね。これは憶測です。
ところで、今の奥様と知り合う前に、中井貴一さんは「結婚」の話があったのでしょうか?
中井貴一の元カノといえばプロテニスプレイヤー伊達公子。現在はF1ドライバーのミハエル・クルムと結婚してクルム・伊達公子になっています。芸能界屈指のテニスの腕前を誇る中井貴一は、趣味を通じて元カノ伊達公子との仲を深めていったらしく、当時のワイドショーで結婚秒読みと報じられるほどに交際は順調でした。
なるほど!伊達公子選手ですか。
伊達公子さん
なぜ結婚できなかったのか、はっきりとした理由は公表されているわけではありませんが、「中井貴一の母親や姉が反対したから」というのがもっぱらの噂です。元カノ伊達公子はプロのテニスプレイヤーですから、海外遠征などで家を空けることも多いですし、もしかすると家庭向きではないという判断だったのでしょうか。
なるほど。子どもの育児とかにも影響しそうですしね〜。
また、元カノ伊達公子のほうは、幼いころから中井貴一のことが好きで結婚したくて仕方がなかったのに反して、当時30代前半の中井貴一は「37歳で他界した父親のように自分も死んでしまうのではないか」という不安があったため、結婚に踏み切ることができなかったとも言われています。
伊達さんは子どもの時から、中井貴一さんのファンだったのですか!? でも、中井貴一さんの子ども時代のトラウマは根が深いですね。
37歳という父親が他界した年齢を超えたことで寿命への不安が払しょくされた中井貴一。2000年、38歳の時に、6歳下で外資系会社OLの一般女性と結婚しています。嫁は現在もまだ仕事をバリバリとこなし、「支えられるのが苦手」という中井貴一とは、同志のようなパートナーシップを築いているそうです。
同志のようなパートナーシップですか〜。
ネット上では結婚式の写真で嫁の姿が見られるようですが、嫁の風貌について、よく言われているのが石田えり似の知的美人。仕事人間とはいえ、中井貴一が時々嬉しそうにブログにアップしている嫁の手料理を見ると、主婦力の高さも伺えます。ところで、中井貴一は理想の父親ランキングで1位になったことがあるほど、ダンディさの中にも、家庭的な温かさを秘めた俳優でもありますよね。
この2人の子供に生まれたらさぞかし幸せでしょうが、残念ながら中井貴一夫妻には子供はいません。
そうなると、子どもに恵まれないのは残念ですね。でも、これからもあることですし、まだまだわからないものですね。
中井貴一さんの今後の活躍に期待いたします!!!
中井貴一さんの結婚写真!?確かに奥様は石田えりさんに似てるかも??
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