西山茉希の子供は可愛いと話題に!?子供の性別は?子供の名前は?
2016/04/07
sakurayuzu
萩原流行
本名:萩原 光男(はぎわら みつお)
生年月日:1953年4月8日(62歳没)
出身地:東京都世田谷区
身長:173cm
血液型:O型
職業: 俳優・タレント
所属事務所:個人事務所
活動期間:1973年 - 2015年
家族構成:妻・萩原まゆ美
主な作品
舞台『ホワイトレビュー』など
萩原流行さんは数々のドラマに出演し活躍された個性派俳優です。
また、2000年代以降は役者業だけでなく、バラエティ番組にも多数ご出演されていました。バラエティ番組で見せていた気さくでひょうきんなキャラクターは大変人気でした。
東京都世田谷区の出身で、世田谷学園中学校・高等学校を卒業してからは、劇団ザ・スーパーカムパニイ、玉川高島屋ソニー販売店での売り子のアルバイト、つかこうへい事務所、オーケープロダクションを経て、最終的には個人事務所に所属していました。
血液型はO型で、身長173cm。
妻は舞台女優をされている萩原まゆ美さんでした。
萩原流行さんは、お笑い芸人の神奈月さんによるモノマネでも有名でした。
神奈月さんにとって萩原流行さんのモノマネは鉄板ネタの一つで、口調をまねしながらの「りゅうこうと書いてながれと読むんです」のフレーズはとても人気のあるものでした。
神奈月さんの知名度を上げるきっかけにもなりました。
萩原さん夫妻は共演の際、このモノマネについて「似ていない」と語られたそうです。
世代を超えて親しまれていた萩原流行さんでしたが
突然の訃報がニュースで流れました。
2015年4月22日午後6時頃、東京都杉並区高円寺南の青梅街道で、転倒したバイクのそばに倒れている萩原さんが発見され、直ちに病院に搬送されましたが、その約1時間半後に死亡が確認されたということです。
バイクで転倒した際に後続車に轢かれて亡くなられたとのことです。
62歳でした。
萩原流行さんは生前に「自分に万が一のことがあっても公表するな。何も知られずに消えたい」とおっしゃっておりましたが、皮肉なことにバイク事故死という形で全国のニュースで広く報じられることになってしまいました。
そんな萩原流行さんには奥さんがいらっしゃいましたが、お子さんはいませんでした。
萩原さんに子供がいなかった理由としては、萩原流行さんの生い立ちが関係しているという説があります。
萩原流行さんのお父さんはバンドでギターを担当していたミュージシャンだそうです。
流行さんは萩原家の次男として生まれ、一人の兄をもち、お母さんと合わせた4人家族で暮らしていたそうです。
しかし、流行さんの両親には少し複雑ないきさつがありました。
バンドのギタリストをしていた流行さんの父親が、母親が踊り子を務めていたダンスホールに出演したことで2人は出会いました。
そこから交際はスタートしましたが、このとき流行さんの父親は既に別の女性と結婚されていたそうです。つまり二人は不倫関係にあったのです。
萩原流行さんは複雑な家庭環境に生まれたのです。
不倫関係で出来た子供だったんですね。自分の父親がそんな人だったら嫌ですよね。
これだけならまだ良かったのですが、話には続きがあります。
流行さんが初めて父親に会ったのは小学校入学の少し前のことでした。その時に見た父親は母親に頻繁に暴力を振るうような乱暴な男性でした。
目の前で何度も暴力をふるう父親の姿は、幼い流行さんの記憶に深く焼き付いたことでしょう。
流行さんの父親は、いわゆるDV親父でした。
子供時代に母親が父親に殴られるのを何度も目撃したことで受けた傷はおそらく一生癒えることはなかったのでしょう。
このことが萩原流行さんが大人になってからも、大きな影響を及ぼしたと言います。
高校時代に包丁を取り出す
複雑な家庭環境だったにも関わらずグレなかったのは母親の存在があったからでしょう。
そんは母親に暴力を振るっていた父親にある日萩原流行さんが切れてしまいました。
複雑な家庭環境だったにもかかわらず、流行さんがグレなかったのは母親の存在があったからでしょう。
そんな母親に暴力を振るっていた父親に対し、ついに流行さんは切れてしまいました。
萩原さんが高校二年生だったある日、帰宅すると、父親に殴られて血を流す母親と兄の姿がありました。このことに逆上した萩原さんは、父親をさんざんに殴りつけ、ついには包丁を手に取るまでしたそうです。
萩原流行さんの兄と母に止められ、その場はそれで終わったようです。
もしも止められていなかったら、今の流行さんがあったかもわかりません。
とにかく流行さんは、そんな壮絶な子供時代を過ごされたのです。
流行さんに子供がいなかったのも、ひょっとしたら父親像というものに良いイメージが出来なかったから、あるいは自分が同じようになってしまうのが怖かったからなのかも知れません。
こちらの画像が萩原流行さんの奥さんです。とてもキレイな方ですよね。
俳優人生を歩み始めた頃、流行さんの一家は離散してしまい、当時から交際していた舞台女優のまゆ美さんに支えられながら、同棲生活をはじめます。
しかし萩原流行さんの自由奔放の生活や自身の女優としての活動にまいってしまい、奥さんが精神疾患を患ってしまいます。
1991年に東京青山劇場で行われたGANKUTSU OHの上演後に気分変調症を発病してしまうのです。
奥さんは元々パニック障害も患っていたようです。
それも合い重なって躁鬱(そううつ)病を発病されたみたいです。
子供がいない原因
萩原流行さんに子供がいなかったのは、奥さんが精神疾患を患っていたことも影響していたようですね。
元々萩原流行さんには子供を作る気がなかったようですが、奥さん側にもその気持ちや余裕はなかったのかもしれません。
実は奥さんの生い立ちも流行さん同様に過酷なものでした。
「おい、今日はピアノの練習をしたのか?」もしこのとき、「できなかった」などと言おうものなら大変です。そばにあるものをひっくり返して起こったり、ゴザで体を巻かれてお仕置きっされることもありました。私は今も閉所恐怖症気味ですが、ゴザに巻かれて縛られた体験に関係があるような気がします。
萩原流行さんの奥さんも子供の頃にDVを受けていたようです。
厳格な父親に厳しく育てられたあまりに、子供時代に受けた傷が
癒えていないのかもしれません。
ピアノの練習を下のかという質問に、「できなかった」と答えるだけで、そばにあるものをひっくり返して怒ったり、ゴザで体を巻いたりと虐待に近いことをされていたようです。
ご本人のお話でも、その後の精神障害や閉所恐怖症は、こうした父親によるDVの影響が大きいのではないかということでした。
さらには、自分よりきれいな姉妹と比較され罵倒されるなど、肉体的なストレスだけではなく精神的なストレスも受けたらしく、子供心に大きな傷をおってしまったようです。
萩原流行さんと奥さんの間に子供がいなかったのは二人の子供時代に受けた傷が大人になっても癒えなかったからなのかもしれません。
愛妻家として知られている萩原流行さんでしたが、ある日奥さんに仕事に行く前に病院に連れて行って欲しいとお願いされたことで、初めて奥さんの異変に気づいたようです。
「もう限界なの」「胸が苦しいの」と必死に訴える奥さんの言葉を聞いた流行さんは非常に大きなショックを受けてしまいます。
ご本人の話では、愛妻家の主人としての自覚があったにもかかわらず、奥さんがここまで追い詰められている異変に気づくことができなかったことを強く悔やんだそうです。奥さんが繊細な神経の持ち主ということは知っていても、ここまで深い悩みを抱えていたということには全く気付かなかったそうです。
自由奔放に生きてきた萩原流行さんは、外で女性関係を持ったこともありました。
萩原流行さんは「自分のそんな行動が奥さんの病気の原因になった」、「そんな自分は夫失格だ」と思い込んでしまったようです。
この思い悩みが原因で、妻まゆ美さんの発症から三年後に、なんと萩原流行さんもうつ病になってしまったのです。
皮肉なことに、流行さんは自分もうつ病を発症することで、奥さんの苦しみを理解し、自分の今までの奔放な振る舞いをより反省することになったそうです。
生前萩原流行さんは呪われて血を継承したくないと子供を作りたがらず、奥さんも子供時代に受けた傷と流行さんの自由奔放な生活から発症したうつ病が原因で、子供をつくれる状態ではなかったようです。
そんな二人が愛情を注いでいたのは猫の小鉄でした。
とてもかわいい猫ですが、なんとこの小鉄ちゃんもうつ病になってしまったといいます。
信じられませんが、子供代わりに育てていたネコにも二人のうつ病が移ってしまったようなのです。
身体を舐める、毛をむしという異常行動をし始め、しまいには左だけ毛が抜けた「モヒカン猫」になってしまったということで、動物病院へ連れていったところ、人間で言ううつ病だと診断されてしまったようです。
ペットにも移ってしまうとは、うつ病はとても怖い病気なんですね。
流行さん夫妻はこの経験をもとに、本を執筆されています。
ここまで萩原流行さんにお子さんがいない理由を、生い立ちと奥さんの病気の二つの側面から見てきました。いかがでしたでしょうか。
子供の頃のつらい経験が理由で、子供をつくることができなかったり、病気になってしまったりと、DVが子供に与えてしまう影響はこんなにも大きいのですね。
そんな萩原流行さんですが、生前は俳優としてもタレントとしても活躍され、多くの人から愛されていました。
ご冥福をお祈り致します。
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