北斗晶
本名 佐々木久子
1967年7月13日生まれ
埼玉県出身
健介オフィス所属
1985年6月12日、札幌中島体育センターにおける岩本久美子(後のグリズリー岩本)戦で全日本女子プロレスよりデビュー。入門当時は当時の本名・宇野久子をそのままリングネームにしていた。当時、デビュー時代から連戦連勝でありデビューからの連勝記録を保持していた。同年の新人王決定トーナメントは準優勝、年末の女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞となった。
アントニオ猪木の主導により北朝鮮で行われたスポーツと平和の祭典で健介と出会い婚約。1995年6月4日、健介と結婚した後にフリーとなり、WCWを経て1996年、GAEA JAPANに入団。1998年に長男を出産、一時リングを降りていたが翌年復帰を果たし、団体内グループであるT.NDS(チームノストラダムス)および卑弥呼を結成し、日本初のママレスラーとなった。
その後、親友であり自身と同じく幼い子を持つ女性が亡くなったことがきっかけで引退を決意し、2002年4月7日、横浜文化体育館の長与千種・浜田文子組戦(パートナーは里村明衣子)において現役を引退した。
引退直後は主婦業に専念していたが、2003年のWJプロレス退団後苦労する夫健介を支えるべく、健介のマネージャー役としてプロレス界に復帰、健介の復活を支えた(2004年には、健介officeが発足)。また「埼玉の主婦の喧嘩」と称して全日本プロレスで試合をすることもある。
バラエティ番組などで人気があり、テレビ出演も多い。『踊る!さんま御殿!!』や『笑っていいとも!』や『さんまのまんま』などにゲストで出演した。2007年5月からは『北斗晶の鬼嫁運動記者倶楽部』(2009年4月からは『北斗晶の鬼嫁運動記者倶楽部 勝ちグセ。』、同年12月26日終了)にレギュラー出演した。
2005年11月15日に健介officeを株式会社化し、代表取締役社長として会社経営に携わることとなった。プロレス興行とタレントマネジメントを兼ねた会社として運営している。
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2014年、北斗晶は
犬を飼い始めたことを明かしました。
北斗晶はこのブログで犬の名前や
犬の種類、犬の性別も明かしました。
以前にも犬を飼っていた北斗晶は
このようにブログに綴っていました。
実はね…あたし、1番反対したのよ~
だって、前に飼ってたなこちゃん達も老衰死でね。
もし…今、犬を飼ってたとしたら、元気で生きてくれても死んじゃう時に健之介も誠之介もちょうど巣立つ頃じゃない。
巣立ってもう、家には居ないかもいないし。
一辺にみんなが居なくなっちゃったらあたし…耐えられないと思ってね
しかし、北斗晶の子供たちが
積極的に犬の面倒を見ていることから
北斗晶は「犬を飼って正解だった」と明かしています。
犬を飼い始めたことを明かした北斗晶は
その後、ほぼ毎日犬との写真をブログに
アップしています。
特に北斗晶の夫である佐々木健介が
愛犬にメロメロなんだそうです。
2015年、乳がんであることを
告白した北斗晶はブログで
愛犬についてこのように綴りました。
元女子プロレスラーでタレントの北斗晶(48)が23日、自身のブログを更新。乳がんであることを告白した。24日、右乳房全摘出手術を受ける。術後は抗がん剤治療に入る。愛犬も含め、家族への思いをつづり、夫の佐々木健介(48)に感謝した。
「この先の不安で押しつぶされそうな家族を笑顔にしてくれたのは愛犬の花でした。1年前の9月24日に我が家に花が来てくれて。明日でちょうど1年です。偶然にも1年後に闘病生活のスタートを切る私たちを見越して、この子は私たちを笑顔にするために選ばれて我が家に来てくれたのではないか?と思えて仕方ありません」と愛犬の存在に救われたことを明かした。
そんな北斗晶が自宅療養中、
愛犬の散歩をしていた時に
こんな出来事がありました。
北斗晶はこの日、愛犬と一緒に気分転換のため散歩に出かけたそう。そして、昔はキレイだったものの、いまはすっかり汚くなってしまった近所の川を眺めていたところ、川では見慣れぬ生物がいることに気が付いたという。
北斗晶は「あれって…何??」「マンホールの蓋くらいな大きさのがヒラヒラしてるけど 目の錯覚??」と思いながら近付いていくと、それは間違いなくエイだった。
北斗晶は「エイにビックリしすぎて、迷ったんだけど、やはり保健所に連絡した」とのこと。そして「どうしてなのかはバカな私は分かりませんが、エイが川を泳いでるなんてある意味凄い世の中になったもんですね」とこの一件にコメントしている。
現在、病気治療のため
芸能活動を休業している北斗晶。
北斗晶には家族や愛犬のためにも
元気になって戻ってきて欲しいですね。