2015/10/09
yukodola
黒木 瞳(くろき ひとみ)
1960年10月5日 生まれ
本名:伊知地 昭子(いちじ しょうこ)(旧姓、江上)
出身地:福岡県八女市
倍率22.4倍の難関をくぐり、1979年4月に宝塚音楽学校に入学。
黒木瞳さんはどのような経緯で宝塚音楽学校に入学することになったのでしょうか。
黒木瞳さんの“大物感溢れる逸話”を紹介します。
剣道少女から演劇部部長へ
剣道7段の腕前を持つ父親の影響もあり、小4〜中2まで剣道を習っていたそう。
高校在学時は、九州大会にも進んだ演劇部の部長でした。
黒木瞳「宝塚記念受験作戦」
高校卒業後、熊本県の音楽大学への進学が決まっていた黒木瞳さん。
宝塚音楽学校を記念受験するために行ったことは…
・両親に内緒でバレエに1週間通った(だけ)。
・受験費用は当時交際していた男性から1万円を借りて受験。
・受験日を1日前に間違えて行ってしまった。
・面接は筑後弁訛り。
・受験理由を尋ねられ「松竹歌劇団でもよかったんですけどね」と言ってしまう。
当時、松竹と宝塚はライバル関係でしたから、たいへん無謀な発言をしたにもかかわらず、合格してしまいました。
黒木瞳さんが宝塚で演じた数々の舞台。
黒木瞳さんを語るに欠かせない、相手役スターの大地真央さんとのエピソードも交えながら当時の写真をご紹介します。
1981年 初舞台
新人公演「白鳥の道を越えて」で、ミランダ役を演じた黒木瞳さん。
当時の月組トップ・榛名由梨さんから高評価を得ます。
「黒木瞳さんを月組にもらいたい」と言われたのは、この67期生の初舞台中だったとか。
このとき大地真央さんは、春名さんに次いで月組二番手の若手トップスターでした。
1982年 月組娘役トップに
「あしびきの山の雫に」から月組トップスターとなった大地真央さん。
その相手役に大抜擢された黒木瞳さんは、「情熱のバルセロナ」のロザリア役で、自身も娘役トップに。
1983年 「春の踊り/ムーンライト・ロマンス」
ほかに「まい・みらくる」 「ハート・ジャック」に出演。
1983年「翔んでアラビアンナイト」
華やかなジャウワーラ役がぴったり。
1984年「ガイズ&ドールズ 」
今でも再演を繰り返されている人気作品。
大地真央さんとの名コンビが光りました。
1984年「ザ・レビューII 」
ほかに、「I am What I am」「沈丁花の細道」にも出演。
1985年「二都物語」
退団公演となった「二都物語」「ヒート・ウェーブ」
黒木瞳さんが宝塚に在団したのは、わずか5年でした。
宝塚音楽学校で磨きをかけて歌劇団入団
1981年、宝塚歌劇団入団。入団時の成績は39人中3位。
宝塚音楽学校の2年間で才能に磨きがかかったのでしょうね。
最速と言われる入団2年目で娘役トップスターに
黒木瞳さんは異例の大出世で、月組娘役トップスターになりました。
男役トップスター・大地真央さんからの相手役ご指名でした。
芸名は出身地から
芸名は出身の黒木町(くろぎまち)に因んで、同郷にあたる作家の五木寛之さん(八女市出身)が命名。
歌劇団在団時の愛称はショーコ。
同期に涼風真世、真矢みき
同期には、やはり後に芸能界に女優転向した大物トップスターがいます。
涼風真世(1991年 - 1993年まで月組トップスター)
真矢みき(1995年 - 1998年まで花組トップスター)
特に涼風真世さんとは同じ月組で共演しました。
大地真央と好バランス
小顔で男役としては細身だった大地真央さん。
やはり細い体格ながら、度胸ある演技で舞台をこなす黒木瞳さんに目を留め、相手役にしたいと申し出たそうです。
急な出世に嫌がらせもあった
楽屋入りのとき、ファンだという女の子2人にサンドウィッチを手渡された黒木瞳さん。
サンドウィッチにはたくさんの砂が入っていたそうです。
相手役トップスター大地真央のしびれる話
大地さんの相手役に大抜擢された黒木瞳さんは、周囲からのすさまじい羨望、嫉妬にさらされます。
公の場で耐えきれず泣き出してしまった黒木瞳さんに、大地真央さんは「思いきり泣きなさい」とハンカチを渡し…
ひとしきり泣いた黒木さんは、涙でグシャグシャになったハンカチを投げ捨て(これは宝塚のしきたりらしい)芸の道に邁進したそうです。
「宝塚歴代最高の名コンビ」といわれる大地真央&黒木瞳
当時の大地真央さん、黒木瞳さんが並んだ姿を見ると、華麗な容姿に圧倒されますね。
ここでは、宝塚時代の黒木瞳さんの舞台の動画を集めてみました。
黒木瞳さんがどんな舞台を務めていたか、見てみましょう。
タカラヅカ 花のメドレー
黒木瞳さん歌唱『ジャカランダの花の下で』は2分30秒〜4分。
タカラジェンヌの黒木瞳さん、とても素敵でしたね。
今度は、芸能界で女優転身をした黒木瞳さんが、当時の宝塚について語る動画です。
宝塚受験④ものすごく気の強さと根性がなけらば続かない・・黒木瞳が受験生にエールを送る!
黒木瞳さんが受験生に心からのエールを送ってくれます。黒木瞳さんが宝塚について語るのは、1分46秒くらいから。
宝塚受験⑦ラストチャンス!黒木が話す宝塚音楽学校のスケジュール!
黒木瞳さんが自身の体験を交えて語る「宝塚音楽学校の生活」は、1分50秒〜3分過ぎまで。
宝塚100周年記念ニュース(スッキリ!!から)
黒木瞳さんが、相手役の大地真央さんとデュエット共演するのは1分16秒くらいから。
29年ぶりのステージも息ピッタリ。当時のエピソードもたっぷり。
「タカラヅカ100年 大地真央×黒木瞳、思い出トーク」
2013年11月「朝日新聞」の対談。
大地真央さんは、最初の出会いのとき、黒木瞳さんがどんなスカートを履いていたかまで覚えていました。
1年目、大地真央の相手役に大抜擢された
忘れもしない公演の初日、緊張のあまり声がひっくり返り、大爆笑されたとう黒木瞳さん。
そばにいる大地真央さんの目から涙が流れるのを見て、迫真の演技を学んだといいます。
思い出のトップお披露目公演「情熱のバルセロナ」
大地真央さんは「一番になろう」と、黒木瞳さんに厳しく接したそうです。
22歳の黒木瞳さんは「ひとが10年かかってできることを、あなたは今できなきゃいけない」と言われたそう。
表で厳しく、裏で優しかったトップスター
2人の共演作品はすべて満足しているという大地真央さん。
共演当時新人だった黒木瞳さんは、うまくできなかった記憶が強いようです。
当然、大地真央さんの指導は厳しいものでした。
その代わり舞台外ではとても優しく、毎日のように食事に連れて行ってくれたそう。
2人で焼肉を食べ過ぎ、翌日黒木瞳さんをリフトできなくなって転んだという話も。
「愛し合ってました。私はこの人が相手役として最高だと思ってました」
大地真央さんが宝塚退団の決心を真っ先に伝えたのも、相手役の黒木瞳さん。
黒木瞳さんは、他の相手役を考えられず、宝塚初のトップ同時退団となりました。
今でも続く相手役への想い
黒木瞳さんにとって、大地真央さんは今でも“憧れののお姉さん”。
大地さんも、黒木瞳さんが同時退団せずに他の人と組んでいたら、妻を取られた気分になっただろう、と言っています。
仲良く“卒業旅行”にも行ったという2人ですが、宝塚退団以降、芸能界での共演はしていません。
宝塚退団後、女優に転身した黒木瞳
黒木瞳さんは、1986年、映画主演デビュー作『化身』でホステス役をするため、実際に銀座の高級クラブで1週間ホステスのアルバイトをしたそうです。
当時の東映社長の指示とはいえ、何事にも真面目に取り組む黒木瞳さんらしいエピソードですね。
その後は、トレンディドラマなどにひっぱりだこ、有名女優となりました。
近年は意外な役もこなす
2015年、ドラマ「◯◯妻」で、主演の柴崎コウさんの派手なお母さん役を演じた黒木瞳さん。
いままでの美人でデキる女の役とは違いましたが、黒木瞳さんの役柄の幅広さに驚かされましたね。
2016年 初監督『嫌な女』
黒木瞳さんが惚れ込んで映画化が決定した、小説「嫌な女」。
NHKの「プレミアムドラマ」枠では、主演を務めました。
当初は映画にも出演予定でしたが、結果的には初監督作品となり、吉田羊さんの映画初主演作となりました。
1985年の女優転身から31年。黒木瞳55歳、大地真央60歳。
2016年8月、宝塚史上“最強コンビ”といわれる2人の初共演とあって話題に。
宝塚歌劇団理事で世界的演出家、小池修一郎氏も加わり豪華なトーク番組となりました。
「もう一度大地さんの男役が見たい!」とわがままを言う黒木瞳さん。
もちろん、相手役は自分でお願いしたい、と先輩におねだり。
男役はもうできないが、他の機会があれば、と大地真央さんもまんざらでもなさそうでした。
トップ2人の現役時代のエピソード
大地真央さんが、黒木瞳さんを稽古場で強く叱っていた理由。
他の組の子にも聞こえるように注意していたのは、他の人が黒木瞳さんに注意できないようにするため。
周囲からの風当たりの強かった黒木瞳さんを守るため、あえて皆の前では厳しく注意していたそうです。
「彼女じゃないとダメだった」とも語った大地真央さん。
終始丁寧な敬語で、今も大地さんを上級生として、そしてパートナーとして敬う黒木瞳さん。
信頼関係で結ばれた、ゴールデンコンビの復活に期待してしまいます!
黒木瞳さんは、宝塚時代も女優の現在も美しく輝いていますね。
これからも、きらきら輝く黒木瞳さんを応援したいと思います。
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