天海祐希さんは、宝塚歌劇団出身でトップスターだった。知ってた?
2016/08/13
momocan
天海 祐希(あまみ ゆうき)
生年月日:1967年8月8日
本名:中野 祐里(なかの ゆり)
愛称:ゆりちゃん、ゆり
所属:研音
出身:東京都台東区東上野
天海祐希さんの舞台人生のスタートは、中学校時代に入った演劇部の部活動からです。中学2年生のときには、天海祐希さんの担任をしていた宝塚ファンの先生に宝塚歌劇団の入団を勧められ、宝塚音楽学校への入学を志願するようになります。高校生のときには、宝塚音楽学校の入学試験準備のため、バレエスクールにも通い始めました。
こうした努力の積み重ねの結果、晴れて宝塚音楽学校に入学し、その後宝塚のトップスターを経て、現在に至っています。
プロフィールで示した通り、天海祐希という名前は、本名ではなく芸名です。この芸名は、父親や副校長と相談の元、決めたものなんだそうです。
父親と相談し、漢字4文字、本名から一字と希望から「希」を使用、強運との姓名判断で言われている本名と同じ字画数の3つの条件から「天海祐希」「木条祐希」の2つの候補に絞られ、男役らしい「木条祐希」を選ぼうとしたが、副校長の「スケールが大きい」との助言で現在の「天海祐希」にした
天海祐希さんの芸名は、本名である中野祐里から「祐」を、さらに希望の「希」と、それらの画数の関係から「天海」を選んで、成り立っていたのですね。
それにしても、「天海祐希」か「木条祐希」かで悩んだときに、男らしい名前の方を選ぼうとする辺りは、宝塚の方らしいですね!
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ここからは、宝塚元月組トップスターの天海祐希さんの宝塚時代の舞台について振り返ってみたいと思います。
〇1987年
1月23日 - 1月24日 『日本舞踊/青春のロンド』
3月26日 - 5月12日 『宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら(雪組)』
5月26日 『ミー・アンド・マイガール』
8月2日 - 8月30日『ミー・アンド・マイガール』
9月22日 - 10月4日 『青春の旋風〜リトル・ヒーロー三四郎』
11月16日 - 12月20日 『ミー・アンド・マイガール』
〇1988年
1月15日 - 1月26日 『リラの壁の囚人たち』
2月3日 - 2月11日 『ミー・アンド・マイガール』
3月3日 - 3月30日 『ミー・アンド・マイガール』
4月15日『南の哀愁』前夜祭
5月13日 - 6月28日 『南の哀愁/ビバ!シバ!』
8月4日 - 8月30日 『南の哀愁/ビバ!シバ!』
9月18日 - 9月21日 『リラの壁の囚人たち』
9月23日 『リラの壁の囚人たち』
11月11日 - 12月20日 『恋と霧笛と銀時計/レインボーシャワー』
12月6日『’88宝塚友の会 クリスマス会』
12月14日 - 12月17日 CRISTMAS DINNER SHOW ’88『Fresh Dream for You』
〇1989年
1月25日 特別公演『逸翁に捧げる夕べ』
2月4日 - 2月14日 『赤と黒』
5月4日 ニューヨーク公演 記者発表会(ニューヨーク/RCMH)
5月12日 - 6月27日 『新源氏物語/ザ・ドリーマー』
5月19日 - 5月20日 『’89 TMP音楽祭 ザッツ・ムービーⅡ』
8月3日 - 8月29日 『新源氏物語/ザ・ドリーマー』
9月1日 『レビュー記念日’89』
10月6日 ニューヨーク公演 試演会『TAKARAZUKA』
10月25日 - 10月29日 ニューヨーク公演
11月25日 - 12月17日 『シャンテ・シャンテ・シャンテ』
12月8日 『’89宝塚友の会 クリスマス会』
〇1990年
1月4日 - 1月10日 『赤と黒』
2月16日 - 3月27日 『大いなる遺産/ザ・モダーン』
4月21日 - 5月6日 『ロミオとジュリエット』
6月3日 - 6月27日 『大いなる遺産/ザ・モダーン』
8月9日 - 9月18日 『川霧の橋/ル・ポアゾン』
9月1日 - 9月3日 『レビュー記念日’90』
10月13日 - 11月4日 『天使の微笑・悪魔の涙/レッド・ホット・ラブ』
12月2日 - 12月26日 『川霧の橋/ル・ポアゾン〜愛の媚薬〜』
12月19日 『すみれの花咲く頃』60周年スペシャル
〇1991年
1月16日 『ベルサイユのばら -オスカル編-』製作発表
1月22日 - 1月27日 『ロミオとジュリエット』
5月17日、5月18日 『’91 TMP音楽祭 エスノ・ポップス』
5月22日 『ベルサイユのばら -オスカル編-』 製作発表会
6月6日 - 6月9日 『第7回 朱里ダンスプロジェクト公演』SHOW CASE PART 7 Singing Dancing for you!
7月2日 - 7月31日 『ベルサイユのばら -オスカル編-』
7月6日 『ベルサイユのばら -オスカル編-』
9月1日 - 9月3日 『レビュー記念日’91』
9月20日 - 10月29日 『銀の狼/ブレイク・ザ・ボーダー』
11月10日 - 11月24日 『たとえば それは 瞳の中の嵐のように』
〇1992年
1月1日 - 2月11日 『珈琲カルバナル/夢・フラグランス』
4月4日 - 4月29日 『珈琲カルバナル/夢・フラグランス』
5月22日 - 5月23日 『’92 TMP音楽祭 SONG IN YOUR HEART』
7月3日 - 8月18日 『PUCK/メモリーズ・オブ・ユー』
9月12日 - 9月27日 『高照す日の皇子』
10月2日 - 10月9日 『高照す日の皇子』
11月2日 - 11月27日 『PUCK/メモリーズ・オブ・ユー』
〇1993年1月〜7月
1月1日 - 2月15日 『PARFUM DE PARIS』
3月8日 『グランドホテル/BROADWAY BOYS』製作発表
4月2日 - 5月10日 『 グランドホテル/BROADWAY BOYS』
5月21日 - 5月22日 『’93 TMP音楽祭 青春フォーエバー!』
7月2日 - 7月31日 『 グランドホテル/BROADWAY BOYS』
〇1993年8月~
8月11日 - 8月12日 ディナーショー『…だから盛り上がって夏』
9月2日 『レビュー記念日’93』
11月12日 - 11月23日 『夢の10セント銀貨』
〇1994年
1月1日 - 2月7日 『風と共に去りぬ -バトラー編-』
1月18日 『風と共に去りぬ -バトラー編-』
2月25日 - 3月3日 『夢の10セント銀貨』
4月4日 - 4月27日 『風と共に去りぬ -バトラー編-』
5月20日 - 5月21日 宝塚歌劇団80周年『TMPスペシャル 夢まつり宝塚’94』
6月24日 - 8月8日 『エールの残照/TAKARAZUKA・オーレ!』
8月9日 - 8月11日 『シンポジウム 宝塚80』
9月1日『レビュー記念日’94』
9月9日 宝塚歌劇団80周年記念式典『夢を描いて華やかに』
10月18日 宝塚歌劇団80周年記念『’94宝塚歌劇団大運動会〜夢を描いて華やかに』
11月2日 - 11月27日 『エールの残照/TAKARAZUKA・オーレ!』
〇1995年
1月2日 - 1月8日 『LE MISTRAL…鏡の中に消えた男…』
4月13日 - 5月5日 『エールの残照/TAKARAZUKA・オーレ!』(地方公演)
6月2日 - 6月28日 『ハードボイルド・エッグ/EXOTICA!』
8月11日 - 9月25日 『ミー・アンド・マイガール』
10月14日 - 10月29日 『ある日どこかで-SOMEWHERE IN TIME-』
12月1日 - 12月26日 『ミー・アンド・マイガール』
女優の天海祐希さんも素敵ですが、宝塚の天海祐希さんも男らしくて格好いいですね!
女優としてももちろん素晴らしい天海祐希さんですが、宝塚時代にも天海祐希さんはすごい人との伝説がありました。
それはいったいどういうことなのでしょうか?
天海祐希は、宝塚音楽学校へ主席入学したこと。
入学試験で「お母さん、よくぞ産んでくださった」と関係者から絶賛された。
宝塚音楽学校は、宝塚歌劇団に入団する前に、2年間通う学校のなのですが、「東の東大、西の宝塚」と言われるように、倍率も毎年20倍を超える難関です。
そんな宝塚音楽学校に、主席で合格した天海祐希さんは、相当に素晴らしかったのですね!
宝塚では、宝塚歌劇団で初舞台を踏んでから7年目までは、新人公演というものに出演します。その新人公演に、入団一年で主役に抜擢された天海祐希さん。
また、新人公演も卒豪していないうちにトップスターになったのですね。
トップスターは、早くても入団10年目くらいでなる方が多いですが、天海祐希さんは異例の早さだったのですね。
宝塚のトップスターに就任したのち、多くの人は5年くらいは在団していますが、天海祐希さんはわずか2年で退団しています。
もちろん、期間が短いトップスターもたまにいますが、やはり天海祐希さんの2年は短いです。
宝塚の象徴ともいえる、ラストのフィナーレでトップスターが背負って大階段を降りてくる大きな羽根。天海祐希さんは、退団公演でその羽根を背負わずに降りてきました。
どうも天海祐希さんが、仰々しい羽根を背負うのは嫌だと、劇団側に通させてしまったらしいです。
宝塚の舞台では、フィナーレが終わってから幕が下りるまで、客席に向かって手を振ってくださるのですが、天海祐希さんは客席よりも、一緒に舞台に立った仲間たちに手を振っていたそうです。
宝塚の公演中に、ファンを対象向けとしたトークショーが開かれます。
普段は、舞台のエピソードや冗談を話したりするのですが、天海祐希さんは説教をしていたそうです。
宝塚を卒業する日、ファンクラブが退団者に高い車を用意し、パレードをしたりするのですが、天海祐希さんは、自らファンクラブ全員にワイングラスを送ったそうです。
ここまで天海祐希さんの写真と共に、天海祐希さんの宝塚時代の活躍を紹介してきました!でも、写真だけじゃ天海祐希さんの本当のすごさや、本当の魅力は伝わりきらないと思います。
そこで、ユーチューブから、天海祐希さんのお宝映像を厳選ピックアップしてみました。
どうぞご覧ください!!
https://www.youtube.com/watch?v=AL8yrHAq3jc
若い頃の天海祐希さん
ドレス姿の天海祐希さん
ショートカットの天海祐希さん
メイクをバッチリ決める、天海祐希さん
ドラマ『演歌の女王』のワンショット
ドラマ『BOSS』で主演を務めた天海祐希さん
ドラマ『緊急取調室』に出演した天海祐希さん
ドラマ『Chef〜三ツ星の給食〜』に出演した天海祐希さん
ショートスタイル時代の天海祐希さん
天海祐希さんは産業能率大学が行った『新入社員からみた女性上司の理想像』という高感度調査で、2010年〜2015年まで6年連続で1位を獲得しました。
さらに、明治安田生命が行った同様の調査では2016年度までの7年間1位。
さらに、日本の飲料メーカーKIRINが行った『一緒にお酒を飲みたい女性上司の理想像』にもランクイン。
オリコンランキングの『女性が選ぶ良い女ランキング』では、2009年〜2011年まで4年間1位を獲得しました。
赤いドレスに身を包む天海祐希さん
天海祐希さんは、2013年頃「体調が悪い」と病院で診察を受けたところ《心筋梗塞》と診断され、緊急入院しました。
天海祐希さんの心筋梗塞は、比較的軽度のものだったため10日間の入院と投薬治療のみで担任となりました。5月頃に入院し、6月にはドラマ『ガリレオ』で芸能界復帰しました。
現在は、後遺症も無く元気に活動されています。
以上、宝塚時代の天海祐希さんについてご紹介してきました。
女優としても大変貫禄のある天海祐希さんですが、宝塚時代からすでに期待されていたのですね。
毎日多忙な天海祐希さんですが、これからの活躍にも期待したいと思います。
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