こちらがみなさんお馴染みのKinKi Kidsの堂本光一さんです。
堂本光一さんは、次世代の幹部候補とも呼ばれるほどで、プロとして異常なくらい責任感が強く、ストイックな方だと言われています。
生年月日 1979年1月1日(36歳)
出身地 兵庫県
ジャンル J-POP
職業 歌手 俳優 タレント
活動期間 1991年-
レーベル ジャニーズ・エンタテイメント
事務所 ジャニーズ事務所
そんな責任感の強い堂本光一さんの舞台で事故が起きてしまったことを、堂本光一さんは、どう思ったのでしょうね。
観客に事故による被害は及ばなかったものの、出演者6人が事故によって負傷してしまったということは、その後の堂本光一さんの舞台にも影響が出たのではないでしょうか。
きっと堂本光一さんの精神的なショックも大きかったと思います。
突然の事故に見舞われた堂本光一さんは、その後、どうしたのでしょう。
出演者6人を巻き込んだ事故なので、なかったことには当然できませんが、なぜか堂本光一さんは、舞台を続けることを選びます。
「次の日に幕を開けることで批判が起きるかもしれない。そんなことも覚悟のうえ。とにかくステージ上で何かを語るよりも、パフォーマンスで伝えたいという思いだった」
事故後、舞台を続けることを決めた堂本光一さんの心の内とは、一体どのようなものだったのでしょう。
なぜ、堂本光一さんは、事故後、舞台の上に立ってパフォーマンスをすることを、あえて選んだのでしょう。
堂本光一さんが、事故後も舞台を継続させることを決意し、無事に千秋楽を迎えられて、一番喜んだのは、どうやらファンだったようです。
3月31日、いつもよりも長めのカーテンコールで、ステージ上から事故を踏まえての気持ちを伝えたKinKi Kids堂本光一。観客席からは温かな歓声と拍手が送られた。
作・構成・演出を務めるジャニー喜多川氏もこの日初めて、「ショックです」と無念の意を示した。
無事に事故を乗り越えられて良かったと好意的に考える人もいれば、事故後の対応に問題があるのではないかと批判的に考える人もいます。
そんな中で、堂本光一さんが事故後も舞台の継続を決めたのには、きっと何か特別な理由があるに違いありません。
事故後も舞台は続けた堂本光一さんですが、さすがにカーテンコールの胴上げはなかったようです。
やはり、今回の事故で、6人も負傷者を出しているので、そこまで喜ぶことは出来ないということなのでしょう。
「いつもは千秋楽のカーテンコールでは、出演者とスタッフ全員で光一クンを胴上げするんですけど、今回はさすがに自粛したみたい。でも、無事に公演が続けられてよかったです」(観劇したファン)
ファンは、堂本光一さんが最後まで公演を続けられたことに、ホッとしているのでしょう。
負傷した6人のケガが、たいしたことなければいいですね。
翌日から再開された公演について、堂本光一さんから何か説明はなかったのでしょうか。
事情説明があれば、もう少し納得してもらえたのかもしれませんが、満足の行く説明が何もないとなると、事故後の対応について、問題があると言われても仕方がないかもしれません。
どうやら堂本光一さんには、ジャニーズの先輩から引き継がれてきた“Show must go on(何があってもショーは続けなければならない)”の精神が身にしみついているようです。
「観客に被害が出ていれば間違いなく中止になっていたでしょう。事故が起きた後、スタッフらが今後を検討する中で、強く再開を願ったのが座長である光一クンだったといいます。舞台でもたびたび口にする“Show must go on(何があってもショーは続けなければならない)”の精神なのでしょう」(ワイドショースタッフ)
先輩からの教えは絶対!なのかもしれませんね。
ただ、事故を困難と勘違いしていると思われてしまうと、美談にしていると非難されてしまうかもしれませんね。
この言葉は光一が有料会員サイト『ジャニーズWeb』内の公式ブログでも『Show must go on』としてブログタイトルにも使用している。彼にとっては特別な言葉なのだろう。そのブログでは、
《事故が起きてしまったことに対して、それを美談にし肯定しているわけではない》
と、事故が起きた経緯とともに、心情も吐露している光一。
事故は乗り越えるべきものではなく、自粛すべき出来事だと考える人もいると思います。
堂本光一さんを心配してかけてきてくれた先輩達の電話の内容は、どのようなものだったのでしょうね。
そして、
《錦織さん、東山さん、植草さん、中居くん、長瀬からは、大丈夫か? と直接電話を頂きました》
諸先輩からの電話を受けたことも明かした。この東山紀之ら少年隊の3人からの気遣いが、光一にとって一番苦しくも救われた電話だったのかもしれない。
電話の内容が、事故後のアドバイスなのか、堂本光一さんへの慰めなのかはわかりませんが、きっと堂本光一さんも、複雑な思いで電話を受けたに違いありませんね。
先輩から引き継いだ舞台が、今回の堂本光一さんの舞台だったのですね。
「もともと舞台『SHOCK』』は’91 年、少年隊の主演舞台『PLAYZONE ’91 SHOCK』から生まれたもので、光一クンはそれを引き継いだ格好なんです。とはいえステージ内容は現在の舞台とまったく違うんですが、そこで少年隊によって初めて使われた言葉が“Show must go on”なんです」(アイドル誌編集者)
今回の事故とかぶる内容のストーリーだったから、堂本光一さんは、舞台上で語るよりも、パフォーマンスを見てもらおうと思ったのですね。
少年隊物語を軸にした劇中では、錦織一清と植草克秀がケガをしてしまい、それでもヒガシが葛藤しながらも「Show must go on」と、2人が戻る場所を守るためにもステージに立つことを選ぶというストーリーに。どことなく今回の負傷事故の流れとも重ならないでもない。
プロとしての責任感に加えて、先輩から引き継がれてきた“Show must go on(何があってもショーは続けなければならない)”の精神があったから、堂本光一さんは、事故後も舞台を継続させたのですね。
「公演を楽しみにしていた観客だけでなく、ケガをした6人のためにも“継続”を選んだのかもしれません。光一クンはプロとして異常なほどに責任感が強い。それに尊敬する先輩から受け継いだ舞台だけに“穴をあけることは許されない”と、背負っているのでしょう。そんな姿を見ているからこそ後輩もついてくる。次世代の幹部候補ともいわれるわけです」(前出・アイドル誌編集者)
きっと、今回の事故の後も、これからずっと堂本光一さんは、自分が続けられる限り、この舞台を続けて行くのでしょう。
責任感が強く、ストイックな堂本光一さんの今後の活躍に、乞うご期待ですね!