2015/10/13
しょうちゃん1991
2015/09/11 更新
先日行われたバレーボールワールドカップ女子。全日本は惜しくも5位で終わってしまいました。しかし古賀紗理那選手や宮下遥選手など着実にスターは出てきていると思います。強い時代とそうでない時代を繰り返してきた全日本女子バレーボールチームの歴史について迫ってみます。
攻撃重視のバレーボールをやってくる国が多い中、全日本女子は守備力重視で長年やっています。拾って繋いで相手のミスを誘う、というバレーボールスタイルです。まぁパワーや高さでは全日本女子は他国に対抗できませんからね。
ユニチカ以来の守備力重視のバレーを継承している。1996年のアトランタオリンピック後は高さ重視のバレーで戦っていたが、主力選手の度重なる怪我により再度守備力重視のバレーに方針を転換した。現在は守備力とスピードを重視した所謂「3Dバレー」を行っている。
「IDバレー」を掲げる眞鍋政義監督は、分業制で複数のコーチを起用。2011年には、トスから0.8秒でサイド攻撃のスパイク(従来は1.1秒ほど)という男子並みの「高速バレー」にも挑戦した。
守備力重視のユニチカ仕込みのバレー。アトランタ五輪敗退後、高さ重視のバレーで戦っていたが、主力選手の度重なる怪我・首脳陣の知識不足(守備力重視のスタッフぞろい)などあり方向転換した。現在は守備力+スピードである
全日本女子バレーボールチームのユニフォーム、やはり日本ということもあり赤と白は外せませんね。その他は黒もここ最近の定番です。たまに黄色やオレンジのユニフォームが出ると斬新な気がします。
1990年ごろまでは日の丸を連想する赤と白のユニフォームが定着していたが、1991年には赤、青、深緑、黒を基調にした4パターンのユニフォームが登場した。1995年にこれまで定番であったブルマーに変わりスパッツタイプが登場した。2003年にはノースリーブ型が登場し、2006年にはシャツの着丈とパンツの股上が短くなりよりセクシーになった。
2008年の北京オリンピックバレーボール世界最終予選の頃にはまだ数名だったが、その後肘・膝サポーター(パッド)は、従来の白でなく黒で統一されていった。
2009年のグランドチャンピオンズカップでは黄色、2010年の世界選手権では代表ユニフォーム色としては珍しいオレンジが登場。また、移動時やベンチではオレンジ色のジャージを着用した。
東日本大震災が発生した2011年には、ワールドカップで左胸(日の丸の上部)にこころはひとつと小さく縫いつけられた。また、その日のユニフォームの色に応じて赤・黒・紫のお揃いの細いヘアバンド(ヘアゴム)を着用して臨戦する選手もいた。
近年オリンピックにおいては新デザインがお披露目されることがほとんどであったが、ロンドンオリンピックに於いては前年からのデザインのものを着用。
2013年のモントルーバレーマスターズから、動きやすさを追求した新ユニフォームを着用。同年秋のグランドチャンピオンズカップでは、それとは異なる新ユニフォームを着用。正面・脇に細かいドット柄のあるデザインで、新素材「テクノスパークLS」を使用し115g(従来比約10gの軽量化)を実現した。また、全日本史上初となる、赤を基調としたシューズを着用。なお、監督ほかスタッフのポロシャツ、選手の上ジャージは、共にマゼンタ色のものだった。
2015年にはミズノ社の「火の鳥カラー」(オレンジ色)の試合シューズで色を選手全員統一した。ユニフォームは従来通り3パターン(それぞれ赤・黒・白を基調としたもの)。
全日本女子バレーボールチーム、今は「火の鳥NIPPON」で通していますが、かつては「○○ジャパン」(○○は監督名)で呼ばれていましたね。火の鳥=フェニックス=不死鳥でしょう。
かつては競技スポーツ全般において、日本のナショナルチームを「全日本」と呼ぶことが通例であったが、現在では他の競技ではこの呼称は使われなくなってきており、バレーボールに関しても報道機関によっては「日本代表」と呼称している場合がある。しかしながら、日本バレーボール協会では、一貫して「全日本」「全日本チーム」という呼称を使用している。
日本バレーボール協会は、「監督名+ジャパン」のような(例: 「柳本ジャパン」)メディアからの番組放送上の呼称発信ではなく、協会が自らキャッチフレーズを提唱することを決定。2009年3月から4月、チームの愛称を公募した。2009年6月、一般公募の中から協会での選考の結果、チームの愛称を「火の鳥NIPPON」とすることを表明している。
全日本女子バレーボールチームはかつて東洋の魔女と呼ばれ、ソ連と実力を二分していました。この時は攻守にわたり他国を圧倒していました。今思うとモスクワ五輪ボイコットが弱体化のきっかけだったのでは?
日本が初めて世界大会に挑戦したのは、1960年の第3回世界選手権である。日本は予選リーグを全勝で通過し、決勝リーグに進出した。決勝リーグも強豪国を撃破し、ソ連からは1セットを奪い初出場ながら銀メダルを獲得した。
1962年の世界選手権は日紡貝塚による単独チームによる出場で金メダルを獲得。1964年の東京五輪も日紡貝塚を中心としたメンバーで金メダルを獲得した。大松博文監督が率いる同チームは東洋の魔女と呼ばれた。これ以後、日本とソ連が優勝を争う日ソ2強時代がしばらく続いた。
1968年メキシコシティ五輪、1972年ミュンヘン五輪はいずれもソ連に敗れて銀メダルであったが、1976年モントリオール五輪では12年ぶりに金メダルを獲得した。山田重雄が率いる全日本は守りの粘り、攻撃の速さで他を圧倒し、ソ連との決勝戦は15-7,15-8,15-2と一方的な展開で試合は終了した。大会史上初の失セット0の完全勝利の快挙であった。
1976年のモントリオール五輪優勝により1980年モスクワ五輪出場権を獲得していた。選手強化も順調に進み、モスクワ五輪前年のプレオリンピックでは優勝し、金メダルを獲得できる確率ははかなり高いと言われていた。しかし1979年に開催国のソビエトがアフガニスタンに侵攻。アメリカ政府が提案したモスクワ五輪のボイコットに日本政府が同調、その結果不参加となった。
全日本女子バレーボールチームが東洋の魔女と呼ばれていた頃のセッターであり、主将でもあった河西昌枝さん。大松監督の厳しい練習あってこその強さと仰っていました。2013年10月にお亡くなりになっています。ご冥福をお祈りいたします。
河西 昌枝(かさい まさえ)
ニチボー貝塚・女子バレーボールチームにて、大松博文監督のもと国内外175連勝を達成。「東洋の魔女」の異名をとり、主将、名セッターとして、1962年の世界選手権、2年後の東京オリンピックで金メダル獲得。(この時のテレビ視聴率は66.8%を記録、スポーツ中継としては現在も破られていない) 2004年アテネオリンピックでは、全日本女子バレーボールチーム団長として参加。2008年世界バレーボール殿堂入りを果たした。引退、結婚後、子育てのかたわら、現在も全国を飛び回りママさんバレーの普及に努めている。東京五輪から48年を経過した今日も、ボールを打つパワーは健在。
1990年代は全日本女子バレーボールチームにとっては低迷期、暗黒時代でした。色々と試行錯誤するも、なかなか思うように結果を伴いませんでした。この頃はルイス率いるキューバが最強でしたね。
1984年のロサンゼルス五輪はソ連がボイコットした。準決勝で中国に破れたが、3位決定戦でペルーに勝って銅メダルを獲得した。
ロサンゼルス五輪で銅メダルという不本意な結果に終わると『単独チーム方式』では限界があるという声がしだいに大きくなった。1986年世界選手権では所属チームにこだわらず広く各チームから才能を集める『純粋選抜方式』で挑んだが結果は7位と沈んだ。
1988年のソウル五輪では、山田重雄監督の下、日立中心のチーム構成で挑んだ。準決勝の対ペルー戦はフルセットの接戦となった。決勝進出まであと2ポイントというところまで迫ったが、ペルーの粘りで敗れてしまった。3位決定戦の対中国戦も敗れ、初めてオリンピックでメダルなしに終わった。
1992年のバルセロナ五輪は5位、1996年のアトランタ五輪は9位と成績は下降を続けた。2000年のシドニー五輪最終予選では3連勝の後、中国、イタリア、クロアチア、韓国に4連敗をして、初めて五輪出場権を逃した。日本女子バレーの人気も実力もどん底となった。
2002年世界選手権は史上最悪の13位で終わり、直後の釜山アジア大会でも中国、韓国から1セットも取れずに3位で終わった。これらの責任を取る形で吉川正博監督を含む強化委員全員が辞任した。
この頃の全日本女子バレーボールチームの中心選手となると大林素子選手、中西千枝子選手、江藤直美選手、多治見麻子選手、吉原知子選手などが挙げられると思います。ただチーム自体が迷走していましたので個人能力を生かしきれなかったのがネックでした。
90年代は山内、福田、中野の怪我が痛すぎた。
中田の引退もあってセッター選びも迷ってたな。
中西だったり、名取だったり、永富だったり。
葛和になっても美奈子、磯辺、竹下と。
葛和ジャパンのすごいところ
97年グランプリ、キューバに3-2で勝つ
98年グランプリ、ブラジルに3-2で勝つ
99年グランプリ、キューバに3-2で勝つ
ワールドカップで中国に3-0で勝つ
必ず1年事に大物食いしたが00年で大惨敗。
「メグカナ」コンビとして一世風靡した栗原恵選手と大山加奈選手。全日本女子バレーボールチームは常に1~2人有望な若手が出てきますよね。
2003年に柳本晶一が監督に就任。吉原知子がキャプテンとして全日本に復帰し、大山加奈、栗原恵などの若手選手が積極的に起用された。2004年5月のオリンピック世界最終予選では開幕から6連勝を果たし、最終戦では、ロシアに敗れたものの、2大会振りの出場権を獲得した。同年8月のアテネ五輪ではなんとか決勝トーナメントに駒を進めたが準々決勝で中国に敗れベスト8の成績に留まった。
2007年には木村沙織や荒木絵里香など若き才能が活躍、第14回アジア選手権で24年ぶりに金メダルを獲得。
「鉄腕エリカ」と呼ばれた荒木絵里香選手。全日本女子バレーボールチームメンバーとしては木村沙織選手とほぼ同期の荒木絵里香選手。キャプテンも務めましたね。
2003年に柳本晶一が監督に就任、同年のワールドカップではキャプテンとして全日本に復帰した吉原知子、佐々木みき、竹下佳江といったベテランと、大山加奈や栗原恵などの若手選手が融合したチームを作り上げて5位となった。2004年5月のアテネオリンピック世界最終予選では最終戦でロシアに敗れたものの、6勝1敗の1位で2大会ぶりとなるオリンピック出場権を獲得。同年8月の本大会では準々決勝で中国に敗れベスト8となった。
オリンピック出場とその後のワールドグランプリ、世界選手権での躍進によってチームは一時期の低迷を脱し、2007年の第14回アジア選手権では木村沙織や荒木絵里香など若手の活躍によって24年ぶりに金メダルを獲得。同年のワールドカップでは7位に終わりオリンピック出場権は翌年の世界最終予選へと持ち越されたが、2008年5月に行われた北京オリンピック世界最終予選ではFIVBが大会期間中に出場規定の変更を通知するというトラブルが発生したものの6勝1敗の3位で出場権を獲得。同年8月の本大会では準々決勝でブラジルに敗れアテネと同じく5位に終わった。
上記の他に高橋みゆき選手、杉山祥子選手、菅山かおる選手なども全日本女子バレーボールチームの主力として活躍しましたね。いずれも柳本ジャパンを代表する選手たちです。
運動したいな〜
週1でバレーとかしたい。
バレー見たいのに見れない。
あたしの全盛期はやっぱ
柳本監督やなぁ...
シンとかメグ、竹下、えりか
懐かしい時代(´-`).。oO
シンと小山が大好きやったな〜
ロンドン五輪にて28年ぶりのメダルを獲得した全日本女子バレーボールチーム。強かった全日本女子バレーボールチームが復活した瞬間です。ここまでの努力が実りました。
2009年度より眞鍋が公募によって監督に就任し、2012年のロンドン五輪へ向けた新体制が発足した。iPadを使用してデータを駆使する「IDバレー」を掲げ、2010年に日本で行われた第16回世界選手権では1982年大会以来28年ぶりにベスト4進出を果たすと、準決勝でブラジルにフルセットの末敗れたものの、3位決定戦でアメリカにフルセットの末勝利し32年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した。
2011年のワールドカップでは、中国と同じ8勝3敗の成績ながらも勝ち点差2の4位でオリンピック出場権は翌年の世界最終予選へと持ち越されたが、初出場の岩坂名奈や新鍋理沙ら新戦力の活躍などで結果的にロンドンオリンピックで金メダルを獲得したブラジルと、銀メダルを獲得したアメリカにストレート勝ちを収めた。しかし、1位通過を目標として臨んだ2012年5月のロンドン五輪世界最終予選は序盤こそストレート勝ちによる開幕3連勝を飾るも、韓国に敗れてからリズムに乗れず出場権獲得はセルビアとの最終戦まで持ち越され、最終的に4勝3敗の4位でアジア1位として出場権を獲得した。
同年8月の本大会では予選リーグを3勝2敗の3位で通過すると、準々決勝で中国に全セットが2点差決着というフルセットの激闘を制しソウルオリンピック以来24年ぶりのベスト4進出を果たす。続く準決勝でブラジルにストレートで敗れたものの、3位決定戦で韓国にストレート勝ちを収めてロサンゼルスオリンピック以来28年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した。これを受けて日本協会は公募で新監督を決める予定を撤回して眞鍋監督に続投を要請し、同年10月に2016年のリオデジャネイロオリンピックまで続投することが発表された。
火の鳥NIPPONを長年キャプテンとして支えてきた小さな大セッター・竹下佳江選手。その志と背番号3を木村沙織選手に託して引退しました。その木村沙織選手も代表引退なんですよね・・・
2013年7月25日、休業していた正セッターの竹下が引退を発表、五輪でもう一人のセッターだった中道瞳は11月のグラチャンバレーから復帰した。江畑幸子が腰痛でほとんど出場できない状況ながら他メンバーの活躍もあり、ランク上位のブラジル・アメリカに敗れたものの、同大会における12年ぶりの銅メダルを獲得した。
2014年のワールドグランプリでは、一人の選手が複数のポジションの役割を担う新戦術「ハイブリッド6」を採用し、決勝ラウンドで初戦から4連勝し、最後ブラジルに敗れたが、同大会では初のメダル(銀メダル)を獲得した。
先日行われたバレーボールワールドカップ女子。それを終えた選手たちへの労いの声が多いです。キャプテン・木村沙織は抜けますが、次回も期待できそうです。
全日本女子バレーボールチーム、サオリンと火の鳥JAPAN。課題ははっきりしているので、そこを強化すれば、米中を相手にしても、1セットではなく3セット取れる。
全日本女子バレーボールチームの皆さんお疲れ様でした。来年5月の最終予選、引き続き応援します。若手選手が試合中、各人が各人に発揮しているリーダーシップ。今どきの素晴らしいチームだと思う。木村沙織さんの円陣後の涙に、涙しました。
全日本女子バレーボールチーム、残念ながらこの大会で
”リオ”を決められなかったですね。
でも、全ての試合が記憶に残る、好ゲームばかり。
1試合でも生で観られた人は幸せですね。
自分だけではなく、仲間に気遣う事ができるからこそ、チーム全体が強くなれるのですね!
チームの力で、五輪の切符を手に入れる! 頂点を目指す、全日本女子バレーボールチーム
いかがでしたか?
若干世代交代気味の全日本女子バレーボールチーム。今回のワールドカップでリオ五輪出場を決められなかったのは残念ですが、来年5月の世界最終予選でいける可能性は高くなっています。アジア最大のライバル・中国が今大会で出場を決めましたからね。ただ慢心せずに着実に五輪切符を掴み取ってほしいです!
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