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【激動の50'sから70's】ファッションとは流行り廃れまた流行るもの

現代流行しているファッションは実は昔すでに一度流行ったもの。まるで自分達が斬新で新しいファッションを見つけたような顔をしている現代人に知って欲しい、先人達の斬新さ。世界大戦の混乱からここまで世界が躍動した裏にはファッションの底力があった!

ファッションとは流行り廃れまた流行るもの

ファッションとは

ファッションを見ればその年何が起こったのか知ることができる。そしてファッションは流行り廃れまた流行るもの。一度流行したものは何十年か後に再び流行する。ここでは懐かしい1950年代から70年代までを順に振りかえっていきます。

【世界大戦からの復活と映画最盛期】50年代に流行したファッション

1950年代は、第二次世界大戦が終わり、混乱の中から新しいモノを生み出そうというエネルギーに満ちた時代でした。世界的にアメリカ文化が大きな影響を与えた時代であり、ファッションではアメリカンルックが全盛でした。

出典:http://www.geocities.jp

クリスチャン・ディオールの「ニュー・ルック」

丸みある肩と胸、細く絞られたウエスト、裾の広がったスカートというシルエットのファッションが大流行。このシルエットはその後の女性ファッションの基本となり、今ではごく普通のことになっていますね。

1947年、クリスチャンディーオールが発表した「ニュー・ルック」。このニュールックとは、丸みある肩と胸、細く絞られたウエスト、裾の広がったスカートが女性の身体をスッキリ見せるファッションで、 '50年代ファッションの基盤となり、日本にもその影響は大きく流れてきます。

出典:http://nendai-ryuukou.com

モード界では、クリスチャン・ディオールの「Aライン」「Yライン」などの新しいシルエットに代表されるニューモードが世界のファッション界をリードしました。

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オードリー・ヘプバーン人気

『麗しのサブリナ』(1954)、『ローマの休日』(1953)、『昼下りの情事』(1957)、『シャレード』(1957)など大HIT映画に次々と出演したオードリー・ヘプバーン。銀幕に舞い降りたこの妖精に誰もが夢中となりオードリー・ヘプバーン・スタイルが大流行。

サブリナパンツ

オードリー・ヘプバーンが映画「サブリナ」で着用した細身の七分・八分丈パンツが大流行。

オードリー・ヘプバーン主演の「ローマの休日」「麗しのサブリナ」がヒットし、フレンチスリーブやサブリナパンツなどの「スクリーン・モード」が誕生しました。

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サブリナパンツとは細身の七分・八分丈パンツのことでオードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」で、オードリーが身に着けていたことからこの名で呼ばれる。
腰から裾までがぴったりと体の線に沿ったふくらはぎ丈のパンツでオードリーの影響で1950年代当時の女性たちに爆発的に流行した

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洋画「ローマの休日」や「いとしのサブリナ」の映画の大流行の影響でオードリーヘップバーンのファッションを真似、ヘップバーンカット、サブリナパンツなどのファッションもまた女性の間で大流行しました。

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フレンチスリーブとネッカチーフ

短めの袖をしたフレンチスリーブと首にスカーフを結ぶネッカチーフもオードリー・ヘプバーンが「ローマの休日」の中で披露したファッション・スタイル。大流行しました。フレンチスリーブは今や普通のファッションとなっていますね。

ネッカチーフは直角二等辺三角形の布で出来ており、着用の際は三角形の長辺から頂部に向かって巻き上げて首にかけ、チーフリングと呼ばれる留め具を用いて制服の第一ボタンと第二ボタンの間で留める。
GHQの統治中には戦勝国アメリカへの憧れから、ネッカチーフなどのアメリカンファッションが流行した。

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この時代、スクリーンモードの影響は絶大で、イギリスのバレエ映画「赤と黒」により赤と黒が、またアメリカ映画「初恋物語」で主役女優が着たドレスの色「モーニングスターブルー(明るい緑みの青」が大流行しました。

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【ヒッピーとビートルズが時代を動かした】60年代に流行したファッション

1960年代は、ベトナム戦争の開戦やビートルズの世界的人気、日本では64年の東京オリンピック、高度経済成長、学園紛争など、大戦後世代の若者達をまきこんだ新しい動向が目立ち始めました。

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ヒッピーのサイケデリックファッション

価値観にとらわれないヒッピー達が生まれます。ヒッピー文化はファッションだけでなくアートや音楽にも影響をあたえました。現代でもヒッピー文化はファッションとして残り、時折流行を見せます。

60年代後半は、ヒッピー文化の台頭で、蛍光色を使ったサイケデリック・アートやポップアートが誕生し、ファッションにも取り入れられました。それと連動して、Tシャツの上着化現象やジーンズの定着などのドレス・ダウン化も進みました。

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米国を中心にヒッピーが生まれたのもこの年代。ヒッピーは、伝統・制度などの既成概念、価値観に縛られた社会生活を否定することを信条とし、自然への回帰を提唱する人々の総称。1960年代後半に、おもにアメリカの若者の間で生まれたムーブメント。彼らは基本的に自然と愛と平和と芸術と自由を愛していると述べている。日本ではフーテンと呼称された時期もあるが、ファッションの観点からみると植物系の色とりどりの柄。頭のバンド等、根強い人気のあるジャンル。

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60年代を象徴するファッションとしてヒッピーが挙げられ、現代ファッションにも取り入れられる事が多々あります。
社会的な解放運動を行う人々のファッションから誕生した物でフレアジーンズにTシャツをメインに、インド・アフリカ・東欧などの民族をモチーフにしたものが多かった。

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ミニスカート

世界的なミニスカートブームが巻き起こったのは60年代。現代では当たり前となり、誰も「ミニ」だなんて思わないくらいに定着しています。

61年マリー・クワントがミニスカートを発表、後にアンドレ・クレージュも65年のパリのオートクチュールコレクションで発表し、世界的に「ミニ・ブーム」が起こりました。

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一般的には、マリークワント(デザイナー)が考案したように捉えられているが、どうもそれは違うようである。60年前後、ロンドンのキングスロードのチェルシー地区という若者が集まる場所に、チェルシーガールと呼ばれる当時の先端ファッションを着こなす女性たちがいた。

ミニスカートは、このチェルシーガールの着こなしの中から自然発生的に生まれたものだそうである。

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マリークワントは、自身がトレンドセッター(流行を先駆ける人)であったことから、このファッションが時代のトレンドになると考えて、それを商品化し市場に流通させた。ミニスカートと命名したのは彼女らしい。なんでも車のミニにちなんだものと言われている。

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マリークワントによって一般大衆に認知されたミニスカートは、次にはフォーマルの世界にも広がって行く。その役目を担ったのが、フランスのデザイナーであるクレージュであった。クレージュは、オートクチュールのデザイナーであった。

したがって、スポーティーでカジュアルなミニスカートに品性のある清楚をもたらした。それによって、フォーマルな場にも、ミニスカートが進出する機会を創出したといえる。

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1965年(昭和40年)8月11日、帝人が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。
美空ひばりが、1967年にテレビの歌謡番組で『真赤な太陽』を初めてミニスカート姿で歌ったことも話題となり、1960年代後半ミニスカートが大流行となった。
この当時多くの女性のミニスカートはひざ丈よりやや短い程度であった。

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ミニスカートの女王ツイッギー

ロンドン発最先端ファッションのミューズとしてミニスカートを大流行させたツイッギー。

1960年代のスウィンギング・ロンドンにおける「顔」と見なされ、その華奢な体型から「ツイッギー」(小枝)の愛称を得て、世界的な知名度と人気を得た。

出典:https://ja.wikipedia.org

ビートルズのモッズファッション

60年代世界に最も衝撃を与えた出来事と言えばビートルズの出現。そのファッションスタイルはモッズと呼ばれ、メンズファッションに大きな影響を与え大流行。もちろん日本でも大流行しました。

60年代半ば、ビートルズから派生したイギリスでのグループサウンズのファッション。 音楽面での衝撃とともに、彼らが着ていたモッズファッションは、日本のメンズファッションにも大きな影響を与えました。

出典:http://nendai-ryuukou.com

モッズと呼ばれたこのファッションの特徴は、長髪に船員帽、水玉や花柄など派手な柄でウエストを細くしたシャツ、股上の浅いスリムパンツ、幅広ネクタイ、そしてブーツなど。 こうしたスタイルは、日本ではグループサウンズファッションとして開花します。 モッズファッションをアレンジしたミリタリー調のザ・スパイダーズ、フェミニン調なタイガースなどが代表的なバンドです。

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【ファッションは一気に多様化へ】70年代に流行したファッション

70年代をきっかけに大きく変化します。それは一言に「多様化」、バリエーションの時代に突入していきます。プレタポルテのコレクションの傾向も非常に多様化していきます。

デザイナー各自が思い思いにコレクションを発表し、消費者は自由に個人の好きなものを選ぶ、そして着る、それがファッションとなりました。

出典:http://history.fashion-press.net

フォークロアファッション

2015年にも再び流行しているフォークロアファッションが花開いたのは70年代。世界各地の民族衣装の要素を取り入れたファッションですが、この流行の火付け役となったのは日本人デザイナーのKENZO。

ファッションでは自然志向が強まり、エスニック・フォークロアファッションが台頭しました。シルエットを無視したスタイル傾向が強まり、ケンゾーや三宅一生ら日本人デザイナーへの評価が高まりました。また、単品のアイテム同士の新しいコーディネート方法「クロス・オーバー」が登場しました。

出典:http://www.geocities.jp

ケンゾーの発表したフォークロア・ファッションは人気を博しました。彼は日本やアジア、アフリカ、東欧などの世界各地の民族衣装をテーマにしたコレクションを発表しました。彼の他にもイヴ・サンローランなどもフォークロア・ファッションを発表しました。

出典:http://history.fashion-press.net

彼のファッションの特徴は「多様性」でした。一つのシーズンのコレクションにはエスニックで装飾的なフォークロア・ファッション、クラシカルでベーシックなもの、スポーティブなものなどいくつかの柱があり、多様な提案をおこないました。

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世界でも活躍する「イッセイ・ミヤケ」や「ケンゾー」など、日本人デザイナーが数多く誕生し、数多くのコレクションを発表しました。

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作業着のジーンズがファッションの定番に!

今では何も珍しくないジーンズ。しかし、それまで作業着としての役割しか持たなかったジーンズがファッションの主役になったのは70年代のこと。2015年には70年代ファッションブームが到来し再びあの頃のようなジーンズの着こなしが注目されましたね。

そんな時代に、注目されたのが、それまで作業着として扱われていたジーンズです。
70年代にはハイファッションのデザイナーによるジーンズを取り入れたファッションが注目を集め、ジーンズはお洒落の定番アイテムとして定着しだしました。

出典:http://nendai-ryuukou.com

ファッション年代史いかがでしたか?

50'sから70'sを振り返りました

わたし達が現在多様なファッションを楽しめるのは先人達の進取の気性があったから!毎年流行するファッションの中に全く新しいものなど何もない!昔に思いを馳せながら流行を楽しむのもいいですね。

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