生年月日(満年齢) 1975年2月10日(40歳) 出身地 大阪
身長/体重(血液型) 185cm/93kg(B型) 投打 右投げ右打ち
ドラフト年(順位) 1996年(2位) プロ通算年 12年
経歴 上宮高-専大-広島-ドジャース-ヤンキース
主な獲得タイトル (防)06(勝)05(ベ)05(ゴ)05
抜群の制球力を武器に打者を打ち取る先発右腕。代名詞のツーシームを駆使し、メジャーでは5年連続となる2ケタ勝利を達成。8年ぶりに古巣復帰を決断した今季は、チームを優勝へ導くために再び背番号15を輝かせる。
これから黒田博樹の日本球界での実績とその年棒を写真などを交えて探ってみます
気持ちの入った表情ですね
黒田博樹は父が監督を務めたボーイズリーグのチーム・オール住之江で活躍します。上宮高から東都の専修大学へ進学。上宮高では西浦克拓の控え投手だったですが、大学では力をつけエースに君臨します。チームは4年生春から東都大学1部リーグに昇格します。同年から大学野球でのスピードガン場内表示が始まった神宮球場では、大学生で初めて球速150km/hを計時しました。1部リーグ通算6勝4敗。 1996年、ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団します。背番号は15。
黒田博樹は契約金一億円、年棒1300万で契約します。一年目の成績は6勝9敗
2年目は1勝4敗で年俸は1800万円・3年目は5勝8敗で年俸は1500万円でした。
ここまではそう成績は残していません。
そして年棒もそれほど高くはありませんね
入団当時の黒田博樹
広島時代の年俸
2000年 年俸は2000万円 9勝6敗
2001年 年俸は3500万円 12勝8敗
2002年 年俸は7200万円 10勝10敗
2003年 年俸は9000万円 13勝9敗
ここからは年棒一億円を超えます
2004年 年俸は1億2500万円 7勝9敗
2005年 年俸は1億1500万円 15勝12敗
2006年 年俸は2億円 13勝6敗
2007年 年俸は3億円 12勝8敗
黒田博樹はタイトルも数々と取っています。最多勝利1回 最優秀防御率1回
タイトルとは違いますが、ベストナイン賞1回 最優秀賞1回月間MVP3回などなど
勝利数とタイトル数など活躍するほど 年俸は上がったのです。
広島をフリーエージェントとなりドジャースとの契約を報告する黒田博樹
ドジャースの年俸は3年契約35億3000万でした。
2007年10月18日に黒田博樹はFA権を行使する事を明らかにします。MLB球団は以前から黒田に目を付けており、特にテキサス・レンジャーズが非常に興味を示します。12月1日に球団本部長の鈴木清明へメジャー挑戦を決断したことを報告します。記者会見では「評価されるのもカープのおかげで、また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」と涙を流しながら語りました。
この時から黒田博樹と広島球団の固い絆がいっそうと固くなったと思います。
ドジャーズでの成績と年俸
ドジャース時代の黒田博樹
詳しい年棒は下記に示します
ドジャーズと契約した黒田博樹は2008年から2011年まで活躍します。
その成績と年俸の推移です
ドジャースでの成績
('08) *9勝10敗 183.1回 防御率3.73
('09) *8勝*7敗 117.1回 防御率3.76
('10) 11勝13敗 196.1回 防御率3.39
('11) 13勝16敗 202回 防御率3.07
ドジャースでの年俸は
2008年 年俸は7億4333万円
2009年 年俸は12億4333万円
2010年 年俸は15億4333万円
2011年 年棒は12億円
以上になっています
ヤンキースでの成績と年棒
ヤンキース時代の黒田博樹 その年棒は・・・
詳しい年棒は下記に示します
2012年にヤンキースへと移籍して黒田博樹は活躍します
メジャー通算勝利50勝を上げます。年俸も下記のような推移をたどります
ヤンキースでの成績
2012年 成績16勝11敗
13年 成績11勝11敗
14年 成績11勝9敗
ヤンキースでの年俸は
2012年 年俸 11億7000万円
13年 年俸 15億円
14年 年俸16億円
以上になっています
すごい年棒ですね
メジャーでは億を超す年俸は当たり前のような感じですね
「黒田のピッチングを見るのが大好きだった」
「日本での成功を祈っている」
「アメリカでは援護点がなさすぎた」
「(ナ・リーグとア・リーグ)両リーグでの活躍にもかかわらず、とてつもなく評価が低く受け止められていた選手だ」。
これは黒田博樹が広島へ移籍すると決まった時のMLB公式サイトへの書き込みです。
黒田博樹はメジャーファンの目には素晴らしい投手として映ってるようです。
メジャーで成功していて、年棒も決して安くはないのに、どうして黒田博樹は広島に復帰することを
選んだのでしょうか・・?
これは黒田博樹が広島へ移籍するときのコメントです。
なぜ黒田博樹は広島を選んだのでしょうか・・?
メジャーでの名誉と高額な年棒を捨ててまで・・・広島へ移籍すると
今までの年棒より半分ほど安くなると思われるのに・・・
清々しい笑顔ですね
全く年棒など気にしてない感じです
広島東洋カープは市民球団なのです。親会社がありません。マツダが持ち株を半分持っていますが
球団には資金提供など積極的には行っていないのです。
球場も市民球場と名前がついています。それほど広島市民に愛されている球団なのです。
「米国でたくさんの経験をした中で、応援してもらうことが当たり前でないと感じた。広島という小さな街ですけど、そこで僕のことを待ってくれている人がいるというのをすごく感じていた」
「もう40歳ですし、期待されるほどの投球ができるかどうかは、現時点では、そこまで自信は全くない。もがき苦しみながらも、最後はカープのユニフォームを着て投げたいというのが一番です」
黒田博樹はスポーツジャーナリストー青島健太とのインタビューに上記のように答えています
年棒のことなど一言も言っていません。黒田博樹の男気ということなのでしょう。
黒田博樹はこの横断幕に涙したといわれています。
この時の感動をこんどはファンの方に味わってもらいたいと思ってるのかもしれません。
黒田博樹の広島での年棒は4億円と言われてます。
そのままメジャーにいたら年俸は1800万ドル(約21億円)と言われてます。
ここで気になるのが日本球界とメジャーの年棒の差です。
どうしてこんなに年俸に差があるのでしょうか?
4億円は広島球団最高の年棒と言われています
球団最高の年棒を出す球団幹部の男気を蔵田弘樹は感じたのでしょう。
日本球界とメジャーとでは休会の収入が桁違いに違うのです。
日本野球機構と12球団合わせて1500億円~2000億円
メジャーは機構と球団合わせて90億ドル(約1兆1000億円・2014年)と言われています。
これでは年棒に差がつくのは仕方ないかもしれませんね。
あとは年棒の査定の仕方などでも違うでしょうから 年棒の査定はきっと細かく決まってるのでしょう。
観客動員数なども年俸の査定に入っているのでしょう。
メジャーでは平均5万人ほど入るようですから 日本球界ではそれほどないと思われます。
それだけでも年棒に差がつくのが判ります
黒田博樹が広島を選んだのは決して年棒を気にしてではなく
広島ファンとともに野球がしたい!自分を育ててくれた球団に恩返しがしたい!
その男気が 広島復帰を決めさせたと思います
今後も黒田博樹の鬼気迫る投球を期待したいと思っています。