からさわ としあき
唐沢 寿明
本名 唐澤 潔(からさわ きよし)
生年月日 1963年6月3日(52歳)
出生地 東京都台東区
身長 175cm
血液型 A型
職業 俳優
活動期間 1980年 -
配偶者 山口智子(1995年 - )
こちらが唐沢寿明さんの奥さんで女優の山口智子さん。
画像検索していても、笑顔がとても印象的で、とても明るい性格であることが写真からもわかります。
本名:唐澤 智子(からさわ ともこ)
生年月日:1964年10月20日(50歳)
出身地:栃木県栃木市
身長:170㎝
血液型:A型
兄弟:妹(3つ下)
学歴:栃木市立栃木西中学校時代、栃木県立栃木女子高等学校、青山学院女子短期大学家政学科卒業
そんな唐沢寿明さんの奥さんも、子供の頃にはいろいろと辛いことがあったようで、大人になってからも衝撃的な事件に巻き込まれたりと大変な人生を歩んでおられます。
そんな唐沢寿明さんの奥さんの笑顔の陰に隠された辛い過去にも触れてみたいと思います。
笑顔の陰に隠された辛い過去を背負った唐沢寿明さんの奥さんが言う言葉には、人生の重みが感じられます。
1995年に結婚し、もうすぐ20年が経とうとしていますが、先日も山口さんがイベントのインタビューで「世界で一番幸せだと実感するようなことは何ですか?」という質問に対し
「唐沢さんと一緒にご飯食べてる時とか(笑) やっぱ毎日ご飯を一緒においしく頂いたり、そういうちょとしたことが大事じゃないですか。だから本当に毎日楽しく美味しく幸せに、大好きな方と頂くご飯っていうのは最高ですね」
と照れながらも幸せそうな笑顔で答えたのが印象的でした。素敵。
にこにこと笑顔で唐沢寿明さんに給仕する奥さんの姿が目に浮かびます。
まさに唐沢寿明さんの味ぽんの宣伝のような食卓なんでしょうね。(笑)
唐沢寿明さんの奥さんに対するコメントも、普段からそう思っていなければ、とっさに出てこないようなのろけゼリフですが、唐沢寿明さんご本人はいたって真面目にそう答えたんでしょうね。
一方で、唐沢さんもバラエティ番組『人間観察モニタリング』で「失礼な記者に怒る?怒らない?」のコーナーに登場した際に、山口さんへの想いをさらりと語っていました。
仕掛人の男女の記者役。男性記者が退席中に女性記者が唐沢さんに投げた質問、
Q.一番の宝物ってありますか?
A.一番の宝物?なんだろなぁ…山口智子。宝物っていうかね、いい事もあったし、当然悪い事もあったけどね…
素敵ー!もっと聞きたい!と思ったところに、男性記者がバースデーケーキを持って登場。インタビュー中に女性記者の誕生日を祝うと言うドッキリ。
唐沢寿明さんの真面目な顔が目に浮かびます。
奥さんは幸せ者ですね。
そんなラブラブな唐沢寿明さんと奥さんですが、2人の交際が発覚したきっかけは、奥さんがある怖い事件に遭ってしまったからだったのです。
1992年、山口さん27歳のとき、朝9時ごろ自宅マンションに宅配業者を装った2人の男が突然現れました。何の疑いも無くドアを開けた山口さんを男たちは羽交い締めに。
恐怖で悲鳴をあげた山口さんを助けたのが、このとき一緒にいた交際相手の唐沢さんだったのです。
まさにこの時の唐沢寿明さんは奥さんにとって、ヒーローだったのではないでしょうか。
ドラマや映画なら、暴漢が襲ってきても派手なアクションの後に必ず勝てるよう、だいたい最後は決まっていますが、実際の暴漢に勝てると思っている人など世の中にそうはいないでしょう。
まさか男性がいるとは思わなかった男たちは、唐沢さんに足蹴りされ、駆けつけた警察官に逮捕されたのです。なんと男たちはロープとカメラと手錠を持っていたというので、本当に恐ろしい展開を唐沢さんが守ったということになります。
女性の1人暮らしにとって、これほど怖い体験はないと思います。
唐沢寿明さんの奥さんの脳裏に事件がトラウマとなって残っていなければいいのですが、たぶんそれは無理ですよね。
精神的に立ち直るためのカウンセリングを受けなければならないような事件だったと思います。
本来であれば、唐沢寿明さんの奥さんが助かってよかったですねで終わらせてあげたかったのですが、マスコミはそういうわけに行かなかったようです。
事件の衝撃に加え、当然「一緒にいた男性は誰だったのか?」ということがマスコミの興味となりました。
山口さんは「マネージャー」だと証言しましたが、マンションの管理人が「マネージャーではなく弟さんだそうですよ」と証言。マスコミが見せた唐沢さんの写真に「この人です」と言った事で、2人の関係が明るみになりました。
このマンションの管理人さんの証言には笑ってしまいました。
唐沢寿明さんが有名な俳優さんだということに気づいていなかったんでしょうね。
気づいていれば気を利かせて、「違いますよ」と言えたはずなのですが、管理人さんは正直に「この人です」と言ってしまいます。(笑)
それでもやはり唐沢寿明さんは奥さんとの交際を否定したんですね。
奥さんが超売れっ子女優でしたから、きっとそういうところにも配慮をしたからなのでしょう。
当時は唐沢さんも「いい友人です。今は特別ということはないけど、男と女ですからね。もしそうなったら、よかったと言ってください」となんとも男らしい会見をしました。
事件から3年後の1995年に二人は結婚。
結婚会見では、NHKの朝ドラ『純ちゃんの応援歌』で共演した1988年ごろから交際が始まっていたことを告白しました。
しかし、1988年頃から交際がスタートしていたとは知りませんでした。
みなさん、上手に交際を隠されるんですね。
昔の芸能界は、今よりずっと男女関係に厳しかったからなのかもしれません。
それでは次に、唐沢寿明さんの奥さんの辛い過去について見てみましょう。
山口さんの実家は栃木県栃木市にあった老舗旅館で、2005年に廃業となった『鯉保(こいやす)』。
祖父は早くに亡くなり、祖母が切り盛りしてきましたが、息子(山口さんの父親)が結婚してからは、山口さんの両親が旅館の後を継ぎ、忙しい毎日を送っていました。
忙しい両親に代わって子供たちを育ててくれたのが祖母でした。
唐沢寿明さんの奥さんはどうやらおばあちゃん子だったようです。
小さい時から祖母に育てられてきたからなのでしょう。
しかし、その祖母との絆が、後に、母と娘を引き裂くことになるのです。
唐沢寿明さんの奥さんは、母以上に祖母のことを慕っていたようで、両親の離婚後、母と暮らすより祖母と暮らすことを選んでしまいます。
小学校1年生のときに父親の女性問題が発覚し、両親が離婚。山口さんと妹は、母に引き取られていきました。
しかしおばあちゃん子だった山口さんは、電車で2時間もかけ祖母の元に戻ってしまったのです。その後、両親や祖母の間で話し合いが持たれ、山口さんは父親が引き取る事になりました。
これを機に、母や妹とは絶縁状態となってしまったのです。
唐沢寿明さんの奥さんも、本当は母親に可愛がってもらいたかったのでしょう。
人一倍甘えん坊だったのかもしれません。
でも、家の事情でそれが叶わず、母親の代わりに自分を可愛がってくれた祖母を母と思い、慕うようになって行ったのかもしれません。
唐沢寿明さんの奥さんが祖母の養子になるなんて、よほどのことだと思います。
でも、やはり唐沢寿明さんの奥さんにとっては、祖母が自分の母親も同然だったのかもしれませんね。
山口さんは祖母を「お母さん」と呼び、20歳のときには自らの意思で祖母の養子となりました。
長く独身を続けていた父親も、山口さんが結婚したあとに再婚。旅館は父と継母が切り盛りしていましたが、その父が2005年に突然他界。
このとき線香をあげにきた妹さんと山口さんは34年ぶりに再会したのです。
もしかしたら、自分が一番甘えたかった時に自分を祖母に預け、母親が傍にいなかったことで、唐沢寿明さんの奥さんは母親を恨んでいたのでしょうか。
姉妹の長い間の断絶はすぐに埋まりましたが、母親とのわだかまりは残ったまま。自分より祖母を求めて行ってしまった娘に、許せない気持ちもあったのかもしれません。
その後、妹の働きもあって母親とも無事に和解を果たしました。
それからは2007年に妹とセレクトショップをオープンしたり、2008年に個人会社の代表取締役に母親を就任させるなど、長い年月を埋めるように関係を深めて行っているようです。
それでも今は一生懸命お互いの溝を埋めるべく、頑張っている唐沢寿明さんの奥さん。
母と妹と仲良く、唐沢寿明さんといつまでもラブラブで明るく楽しい家庭を築いていって下さい。