俳優の和田正人さんは2人兄弟の弟。
2004年『第1回D-BOYSオーディション』に出場し特別賞を受賞され、同年10月 D-BOYSの最年長メンバーとなります。
D-BOYS(ディーボーイズ)とは、ワタナベエンターテインメントに所属する男性若手俳優により構成される集団のことです。
【芸名】和田正人(わだ まさと)
【出身】高知県
【生年月日】1979年8月25日
【身長】172
【血液型】O
【趣味】スポーツ全般・ダーツ・カメラ
【特技】マラソン・土佐弁
【その他】ワタナベエンターテインメント 所属
ワタナベエンターテインメントに所属するD-BOYSで、弟の和田正人さんにある疑惑が持ち上がり、問題に・・・
ご両親が小さい頃に離婚され、お父様に引き取られた2人のご兄弟。
弟の和田正人さんは2歳の頃のことで、お母様の記憶がないのだとか・・・
和田正人さんは、高知県土佐郡 2人兄弟の弟として生まれたそうで、幼い頃に両親が離婚されました。そして高知市内で単身赴任する父に代わって、彼を育てたのは祖父母だったという。
2人兄弟の弟の和田正人さんは両親が離婚したために、和田正人さんは祖父母に育てられたのですね。
弟の和田正人さんが唯一困ったのが毎日のお弁当で、弟の和田正人さんが祖母が作る地味なお弁当ではなく、華やかなお弁当を食べたがっているという気持ちを、弟の和田正人さんがお母さんと再会した時、お母さんは知っていてくれたそうです。
泣ける話ですよね。
弟の和田正人さんは足が速かったのですね。
お母さんも本当は傍にいて、弟の和田正人さんの活躍ぶりをその目で見たかったに違いありません。
スクスクと明るく活発に育った彼は、中学校に入ると持ち前の運動神経のよさで陸上部に入部し、長距離の選手に。また足の速さは県内にその名が轟くほどだったという。
もしかしたら和田正人さんのお母さんは、弟の和田正人さんのことをずっと気にかけていて、弟の和田正人さんが長距離選手になって活躍されていることは、和田正人さんのお母さんの耳にまで届いていたかもしれませんね。
弟の和田正人さんの素晴らしい運動神経は、ご両親の遺伝によるものなのでしょうか?
だとしたら、弟の和田正人さんはご両親に感謝しなければなりませんよね。
だってそんなに簡単にエースになんてなれるものではありませんから。
お母さんも弟の和田正人さんの活躍を、きっと誇りに思っていたに違いありませんね。
もしかしたら、弟の和田正人さんの勇姿を、お母さんは気づかれないようにいつも傍から見ていたかもしれません。
「頑張れ!頑張れ!」ってね。
弟の和田正人さんは素晴らしい先生に恵まれたのですね。
和田正人さんが「父みたいな存在」と言うくらいですから、恩師から愛情を感じていたのでしょう。
また高校時代の恩師は、父みたいな存在でもあったという。あとを追うように恩師の母校であった日本大学に進み、恩師の期待を裏切ることなく和田さんは正月の風物詩、箱根駅伝に4年連続で出場されました。
単身赴任でお父様が家にいなかったわけですから、弟の和田正人さんは、祖父母とはまた違う父の姿を、その先生に重ね合わせて見ていたのかもしれませんね。
和田正人さんが中学の頃からずっとこれだけの好成績を収め続けていれば、おのずと弟の和田正人さんの進むべき道も決まってくるようなものだと思うのですが、なかなか世の中そうは上手く行かないのですね。
大学4年生の時には、復路のエース区間である9区で区間5位をマークし、チームのシード権獲得に大きく貢献する。また大学卒業後は、実業団に入部されました。しかし、わずか1年半で転機が訪れます。
それは、所属していた実業団が廃部となってしまったんです。選手のほとんどが別のチームへ行きましたが、彼は前から俳優になりたいという夢を持っていたので、その道に進むことに決意されます。
どうやら弟の和田正人さんはこの頃、ランナーとしての寿命をそろそろ考え始めていた矢先の「実業団廃部」だったようで、弟の和田正人さんにとって、それから先の人生はランナーとしてではなく、俳優として歩んで行きたいと、そう思っていたようです。
漠然と考えていた芸能界だったため、弟の和田正人さんは友人から問いを投げかけられます。
「なんで役者になりたいのか?」「役者になって何を伝えたいのか?」と。
しかし当時、和田さんの年齢はすでに24歳。いくらルックスがよくてもそれまで演技の経験もありません。1年間オーディションを受け続けるも、合格に至りませんでした。
弟の和田正人さんは自分が極度の人見知りで周りの人に興味も少なく、何と言ってもスキルがないことに気づき、愕然としたそうです。
それでも弟の和田正人さんに迷いはなく、オーディションを受け続けるのですが合格できず、背水の陣で弟の和田正人さんが考えた作戦というのが・・・
弟の和田正人さんに悪気はなく、ただ受かりたい一心でしてしまったことなのでしょう。
しかも「年をサバ読むくらい、誰でもやっていることだし・・・」っていうくらいの軽いノリだったのだと思います。
そこで和田さんはある作戦をとり行動されます。そのとった作戦は、年齢詐称でした。25歳のとき22歳と年齢詐称し、履歴書を送ったら、あっさり受かったという。後のインタビューで、和田さんは笑い話として語っていましたが、発覚当時は大きな話題となりました。
弟の和田正人さんも笑い飛ばしているところを見ると、まさか自分のこの話がそんなに大きな波紋を呼ぶなんて、これっぽっちも思っていなかったに違いありません。
弟の和田正人さんがツルッと口を滑らせて話のネタにしてしまった履歴書に書いた自分の年齢が、ファンの間で疑惑となり、どんどん膨れ上がって問題になるなんて、たぶん弟の和田正人さん本人が一番驚かれたのではないでしょうか。
弟の和田正人さんのお母様はこの一件をご存知だったのでしょうか。
それだけ弟の和田正人さんが人気者になっている証拠といえば証拠なのですが、やはり弟の和田正人さんの母親としては弟の和田正人さんのことが心配ですよね。
結局そのままスルーするわけにも行かず、弟の和田正人さんはファンに謝罪。
そういえばだいぶ前の話になりますが、3年B組金八先生で注目を浴びていた田原俊彦さんが年齢を偽っていて騒ぎになったことがありましたっけ。
2005年7月にファンクラブのイベントで、和田さんは詐称の事実を認め、涙を流しながらきちんと謝罪したそうです。その誠実さが、ファンの心をギュッとつかんだそうです。その後もD-BOYSに残り、最年長者として他のメンバーを引っ張っていかれました。
どちらもそんなに目くじらを立てて騒ぎ立てるほどのことではないので、弟の和田正人さんのように誠実にファンの前で頭を下げれば、そこは和田正人さんのファンですから許してくれるはずですよね。
問題がこじれず本当に良かったです。
弟の和田正人さんのお母様もホッとされているのではないでしょうか。
和田正人さん、これからのご活躍を心からお祈り致しております。