【大島優子の可愛い写真集めました】変幻自在アイドル大島優子!?
2016/08/27
naonao
名前:梅田彩佳
生年月日:1989年1月3日
ニックネーム:梅ちゃん
出身地:福岡県北九州市
血液型:A型
所属事務所:フレイヴエンターテイメント
初期チーム:AKB48チームK(現在NMB48チームBⅡ)
芸能界入りのキッカケ:MAXのNANAに憧れて芸能界に興味
名前:大島優子
生年月日:1988年10月17日
ニックネーム:ゆうこ、コリス
出身地:栃木県下都賀郡壬生町
血液型:B型
所属事務所:太田プロダクション
初期チーム:AKB48チームK(現在は卒業)
家族:両親は離婚、母親は日本人とアメリカ人のハーフ。父親はお寿司屋さんを経営。
AKB48の2期生を中心に結成、チームカラーは緑。
当初は大島優子や梅田彩佳、大堀恵、宮澤佐江、秋元才加、野呂佳代、松原夏海、小野恵令奈などがいた。
1期生と比較して元気な体育会系のメンバーが多く、ダンスやトークも上手であった。
1期生が所属していたチームAの活動をライバル視することでモチベーションが高かった。
組閣祭り後、初代チームKが解体して秋元チームKが新たに発足。
大島優子、梅田彩佳、秋元才加、宮澤佐江らが残り、他から峯岸みなみや板野友美、藤江れいな、横山結衣、松井咲子、松井珠理奈らが加入。
よりダンスパフォーマンス力の高いメンバーが集いチームの完成度が上がった。
梅田彩佳がある時、仕事が終わって帰ってくると、大島優子が「ご飯作ってあげる」と言って、オムライスを作ってくれたことがあるそうです。
そのオムライスは卵がふわとろで、何より愛情がこもっていたため、とてもおいしかったそうです。
一方、大島優子が仕事で帰ってきたときには、中華が得意な梅田彩佳がチンジャオロースを作ったそうです。
大島優子によるとその味も格別でとてもおいしかったそうです。
そんなふたりだけの思い出がより、梅田彩佳と大島優子の関係を深めていったのでしょう。
元AKB48の大島優子(26)が22日に自身のツイッターで、AKB48時代の同期でNMB48の梅田彩佳(26)との2ショット写真を公開し、ファンから「うめゆうステキ」など喝采を浴びている。
大島は「昨日、ウィズを観に行きました! 同期の梅ちゃん輝いていました。。これからもお互いを高めあっていきまっしょ」と綴り、梅田と撮った笑顔の2ショット写真を公開している。
これを見たファンからは、「梅島ーー」「うめゆうステキ」などと名前をひとつながりにして、2人の間にある絆を確認したことへの喜びを表現している。
梅田は、AKBグループのメンバーオーディションを勝ち抜き、パルコ劇場で開催中の宮本亜門演出によるミュージカル『ウィズ~オズの魔法使い~』でAKB48の田野優花とともに主人公のWドロシーを演じ、22日に千秋楽を迎える。
一方の大島は、自身初のテレビドラマ主演を務める『ヤメゴク~ヤクザやめて頂きます~』(TBS系)の放送を4月16日に控え、役作りで髪型を“オンザ眉毛”にするなど話題を呼んでいる。
ファンからは、「仲間の頑張りは励みになるよね!」「同期の輝いてる姿は刺激になるよね」「梅ちゃんも頑張っているね。優子も女優頑張れ」「いつかどこかで共演できるといいな」と言葉を寄せ、切磋琢磨する2人にエールを送っている。
大島優子は実家の栃木からAKB劇場に通っていたが、仕事が忙しくなりにつれて帰宅が困難に。
そのため、チームメイトの梅田彩佳宅に同居することになって、より仲が良くなったと言われている。
しかし、梅田彩佳が足を疲労骨折して公演に出られない日々が続き、福岡県の実家に帰省。
止むなく同居生活を解消するはめになった。
公演練習のしすぎで足を疲労骨折してしまった梅田彩佳が治療のため地元福岡県に帰省。
その時も大島優子は絶対にチームKに戻ってくるように励まし続けたと言います。
レッスン中からメンバー同士の戦いは始まっており、とにかくダンスを早く覚えた者が勝ちみたいな状況だった。2人1組でペアのレッスンがあったが、大島はダンスの上手かった梅田彩佳と組み、なんとか盗んでやろうと考えていた。それほど必死だった。
第4回選抜総選挙では悲願のベスト16位入りを果たした梅田彩佳。
そして、そこには大島優子との感動エピソードもありました。
梅田は総選挙で16位となり、選抜入りを果たした。あと一歩のところで逃した昨年の22位から躍進。これまでも選抜の経験はあるものの、選挙で決まったことには格別の思いがあるという。同年齢で同期の大島優子と並んで座り結果発表を待ったあの日のこと、そして、これからのことを聞いた。―結果発表のどのあたりから緊張し始めました? 「アンダーガールズが呼ばれるあたりからドキドキしてました。呼ばれたくないと思って(笑)。ずっと“チームKって呼ばないで!”って念じてました」。―17位の発表が終わった時点で「やった!」と思った? 「残りの16人の中に自分が入っていると信じているのもおかしいことなんですけど(苦笑)。隣の優子も、私の体がだんだん前のめりになっていくのに気づいて、手を握ってくれたりとか。17位(で高城亜樹)が呼ばれた時、優子が“やったじゃん!良かったねえ”って言ってくれました。それがあの日最初に涙腺が壊れた瞬間でした」。―大島さんはどのあたりで手を握ってくれたのですか? 「何位くらいの時でしょうかね。たぶん、22位くらいの時だと思います。前のめりになっている私の膝をポンポンって触ってくれたり手を握ってくれたりして。優子が横にいてくれて凄く助かりました」。
梅田さんはなぜ前のめりになってしまったのでしょうか? 「たぶん、立ちたくなかったんですよ。だから“嫌だ、嫌だ”って気持ちで、立てないような態勢を作ったんだと思います」。―大島さんの席が隣なのは偶然? 「五十音順に座っているので、毎年必ず優子が横にいるんです」。―同年齢で同期の大島さんが隣にいるというのはどんな感じ? 「今年は喋れましたけど、昨年まで私には喋る余裕がなかったんです。優子が話しかけてきても“うん、うん”くらいしか言えなくて。でも、その時に優子のメンタルの強さを感じましたね。優子は1位、2位を争っていて注目のされ方も違うし、私より大変なわけじゃないですか。それなのに私を気遣う余裕があるのは凄いことだと思います。今年も、もし優子が横にいなかったら私の体がもっと沈んでいたろうなと考えると、メンバー同士の友情、優しさを感じられた総選挙だったと思います」。―梅田さんから見て今年の大島さんの様子はどうでしたか? 「時折、笑顔を見せたりスピーチにうなずいたり、同じ年ですけど、凄く大きく見えました。私は普段も、へこんだ時には優子を見るようにしているんです。それは優子にも伝えたことがあります。優子は前向きなんですよ、凄く。私は結構、後ろ向きのところがあるので、あっけらかんとした優子を見て“ああ、そうだ。こうしなくちゃいけないんだ”と自分を納得させます。今年は優子が1位になって単純に凄くうれしいなと思いました。どの子が1位でも素晴らしいことなんですけど、やっぱり、同期で思い入れもあるし、尊敬もしているので、うれしかったです」
チームK2nd「青春ガールズ」公演の頃に、メンバーの中でも特に仲良しでダンスが好きだった梅田彩佳、大島優子、松原夏海、野呂佳代の4人で非公式ユニット「梅島夏代」を結成。
秋元康もこのユニットを認めチームK5th「逆上がり」公演では、4人のために「エンドロール」という曲を書き下ろしたと言われている。
しかしその後、松原夏海がチームAに移籍、野呂佳代が卒業して非公式ユニット「梅島夏代」は自主解散した。
その後、梅田彩佳は秋元才加、増田有華、宮澤佐江とDIVA、大島優子は指原莉乃、北原里英、横山結衣とNot yetという公式ユニットに配属される。
しかし、大島優子は兼ねてからチームKのメンバー特に「梅島夏代」のメンバーとダンスユニットを作りたいと考えていたため、Not yet結成時に拒否反応を示したと言われている。
梅田彩佳は大島優子が卒業発表をした後、以下のように言っていました。
「あんまり恥ずかしくて言ったことはないけど、へこんでいるときや、大変だなって思ったときは、ずっと優子が私の道しるべでした」
これは、大島優子さんも思っていたことだと思います。仲の良い2人だからこそお互いを尊敬し、ライバル視することにで自分を成長させることが出来たんだと思います。
もう2人はAKB48という枠組では離れ離れになっていますが、芸能界という世界でお互い切磋琢磨していける関係性にあることは間違いありません。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局