堂本剛の身長は何センチ!?意外に低いことが判明した堂本剛の身長!
2015/10/08
dmegumi
出生名 堂本剛
出生 1979年4月10日(36歳)
出身地 日本の旗 日本 奈良県
ジャンル J-POP,ファンク,ブルース,ロック
職業 シンガーソングライター
タレント
小学校の頃から芸能界として道を歩み児童劇団「劇団アカデミー」所属し、芸名「堂本直宏」として舞台、ドラマ、バラエティなど多数出演。
ちなみにまだ関西で活躍してたダウンタウンの番組にも出演していました。
堂本剛さんの子役活動は小学校5年生まで続き、小学校6年生になって芸能活動を辞め、学業へ専念することとなりました。
人前に出ることが苦手だった堂本剛さんはこの頃から芸能界での仕事がストレスとなっていたのでしょう。
堂本剛さんの場合は病気のきっかけとなるのが芸能活動だったんですね。
母と姉が勝手に履歴書をジャニーズ事務所に送り入所するはめに。
当時剛さんはバスケが好きで部活動に専念し、中学受験も控えていたので入所するつもりはなかったのですが、1991年5月5日の光GENJのコンサートに事務所から招待され、剛さんはあまり乗り気ではなかったですが母親と共に行き鑑賞していると今のKinKi Kidsの相方堂本光一と出会う。
事務所に入ってからは学校と仕事を両立させるため東京と奈良を往復していました。
タイトなスケジュールのため、精神的にもかなり苦痛で若い頃から苦労されています。
そして14歳の時に上京して事務所の合宿所で本格的にアイドルとして目指します。
15歳からは有名な金田一少年の事件簿 やバラエティを週5本。
大人顔負けの仕事量でまだ高校生なのに体と心はもう崩壊寸前で、この殺人的な忙しさゆえにパニック障害の発端となったのではと噂されます。
また18歳の頃、硝子の少年でCDデビューし輝かしい第一歩を歩んだものの、過度なストレスにより過呼吸を発症。
剛さんの心のなかではずっと「死にたい、死ねない、死にたい、死ねない、死にたい、」
と言う自殺願望も5年間繰り返し言い続けていたそうです・・・
パニック障害は、突然起こる激しい動悸や発汗、頻脈(ひんみゃく:脈拍が異常に多い状態)、ふるえ、息苦しさ、胸部の不快感、めまいといった体の異常と共に、このままでは死んでしまうというような強い不安感に襲われる病気です。
多くの場合20~30分くらいでおさまりますが、何回か繰り返すうちに、また発作を起こしたらどうしようという、パニック発作に対する強い恐怖感や不安感が生まれるようになります。
空気の吸いすぎの状態が続いているにもかかわらず、「空気が入ってこない」「呼吸ができない」といった呼吸困難の発作を感じます。でも実際には、血液中の二酸化炭素が不足している状態。
体には二酸化炭素が必要なので、「息を止めて二酸化炭素が出て行かないように」と脳が指令を出すのですが、「息苦しい」という思いから必死に息を吸おうとしてしまう。これが過呼吸の状態です。
堂本剛さんは一時期、急激に太った時期がありました。
ファンの人だけでなく、誰もがこの激太りには驚いたことでしょう。
実はこの時、薬の副作用によって太ってしまい、堂本剛さんはクスリの服用に悩んでいたそうです。
パニック障害を抑えるクスリが効いてくると、パニック発作の症状が少なくなります。そうなると別の症状である“うつ症状”が出てくることがあります。
パニック状態が、興奮状態だとすると、うつ症状は気持ちが落ち着いている鎮静状態と言えます。
そのうつ症状のときに出てくるのが、過眠や過食、全身の倦怠感や感情不安定です。つまり、病気の症状がよくなっていくかわりに、食べ過ぎてしまって太りやすくなるというのが大きな理由の一つです。
症状が酷い時期は、体重も減りコンサート中・番組の収録中も関係なく、過呼吸発作や動悸・眩暈などの症状が出ていたので、周りに気づかれないように光一くんと2人になる楽屋で寝込んだり、吸入などをしていたそうで、そんな剛くんを光一君がずっとサポートしていたそうです。
光一くんは、剛くんをよく観察しながら理解して、彼が精神的に危なそうだと思えることは自分が担当したり、また発作が出そうな時はフォローしたりしていたようです。
光一さんは一番の理解者であり剛さんが病気で苦しんでいる時に一緒になって治療する方法を考えパニック症や過呼吸症候群の本を読みあさり一生懸命剛さサポートしていたようです。
また一度過呼吸になった時も光一さんが剛さんを力強く抱きしめ「大丈夫」「大丈夫」だからとフォローしたようです。
堂本剛さんは病気によって18歳から5年間が一番つらかったと話します。
2003年のコンサートで倒れたのをきっかけにファンにも病気のことを打ち明けた堂本剛さん。
現在でも病気と闘う日々は続いているようですが、1番つらかった当時を振り返っています。
僕の十代なんてホント大変でしたから。自分で言うのもイヤですけど。でも僕、ほとんど記憶ないんです、もう。しんどすぎて。かわいそうやなと思うんですけど。全然覚えてないんです。自分が誰と会って何したかなんて。忙しすぎて、ほとんど寝てないから。当たり前よね。寝てへんかったら記憶ないよね」
「今では考えられませんけど、本当に死にたいと思ってね、生きていた時期もあって。でも根性もないし、怖くて死ねなくてくるしくて。で、毎日空を見て、涙を流して。本当の自分で生きたいのに、生きることが許されない」と思い詰めていた日々を思い返している。
事務所や堂本光一さんの支えによってだいぶ良くなったという堂本剛さんの病気。
無理をせずに自分のペースでこれからも大好きな音楽を続けてくれるといいですね。
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