2021/12/08
himari10
2015/05/30 更新
上原多香子さんは2012年、ET-KINGのMCを務めるTENNさんと結婚しました。
旦那ながらもまだまだ経済的に不安定なTENNさんを支えた上原多香子さんでしたが
1年半が過ぎ、TENNさんは突如自殺で帰らぬ人となったのです。
噂では「関東連合」が関係しているのではないかとも言われています。
上原多香子さんといえば、もともとは90年代の音楽業界を賑わせた女性JPOPユニットの
「SPEED」のダンス要員だったことでよく知られています。
上原多香子さんを知る人はSPEEDから知っている人が多いかもしれません。
一方、TENNさんが所属するET-KINGはSPEEDとは対照的に男性のみからなる
JPOPユニットです。
二人の結婚から早2年半、旦那であるTENNさんが突然自殺。
旦那の死に体を見たのは上原多香子さんでした。
旦那の変わり果てた姿を見て動転した上原多香子さんはしばらく平静を保てませんでした。
実は結婚から旦那のTENNさんの自殺の間に、悪名高い暴力組織である「関東連合」が
背景に絡んでいるのではないかと憶測が立っています。
今回は、このあらすじにそって以下、詳細を述べていきます。
SPEEDのメンバーにはそれぞれ選抜の基準があり、上原多香子さんは当時から
ずば抜けて容姿がよかったため、「ルックス要員」としてダンサーに選抜されました。
おそらく、この曲を知らない人はあまりいないでしょう。
ダンスとボーカルをせわしなく合わせるスタイルを持つSPEED。
現在のアイドルグループの基本スタイルを確立しました。
ジュディマリやミスチルは同じくして90年代に活躍したアーティストですね。
もともと幼いときからSPEEDとして苦楽を共に過ごしてきたメンバーたちはとても大切な間柄。
その絆の深さは上原多香子さんが結婚した時、そのお祝いなどでもわかります。
上原はSPEEDのメンバーとしてデビュー。解散、再結成するなどしたが、沖縄生まれ、沖縄育ちのメンバーとの仲は鉄板だった。今井絵理子、新垣仁絵、島袋寛子の中では特に島袋と仲が良かった。ライターが首を傾げて言う。
上原多香子さんと一番仲が良かったのは島袋寛子さんだという。
しかし、今回の一連で、上原多香子さんと一番深くかかわったのは今井絵理子さんでした。
そして包みを開けると、一つはティーポット、もう一つは、何やらうさぎが帽子に入っているもの。今井からは「絵理のこと、忘れないでね!ってね」というコメントで、うさぎキャラをネタにしたプレゼントに、上原は涙が出るくらい大爆笑したという。
今回紹介する結婚から旦那のTENNさんの自殺、そこからの上原多香子さんのメンタル面での
立て直しのキーパーソンとなるのは特にボーカル(低音)担当の今井絵理子さん。
「離婚してシングルマザーの子持ちとなった今井は通夜から駆けつけ、悲しみに暮れる上原を支えた。自身のブログにメッセージをアップし、悲しむ姿に何もできない歯がゆさをつづっている。が、島袋も新垣もなしのつぶて。島袋のツイッターにもブログにもお悔やみのコメントはない。いったい何をしているのか……」
今井絵理子さんは上原多香子さんと同様に結婚もし、そのうえ障害者の子供を持つ身。
旦那さんを失った悲しみと苦しみが人一倍わかっていたのでしょう。
また、新垣仁江さんは海外で事業を展開、島袋寛子さんはローカルで未だに音楽活動を
続けていたため、多忙で連絡ができなかったのでしょう。
結婚から早1年半で自殺でこの世を去ってしまったET-KINGのTENNさん。
しかし、TENNさんが自殺をするような理由は個人として、旦那としても考えられず、
自殺にしては不自然だという意見もあります。
もう少し、ここあたりの事情を探っていきます。
TENN(テン、1978年12月11日 - 2014年9月25日)は日本のJ-POPグループであるET-KINGのメンバーで、MCを担当。大阪府出身。本名は森脇 隆宏(もりわき たかひろ)。血液型はAB型。 妻はSPEEDの上原多香子。
2005年からET-KINGのメンバーたちと共同で寝食を共にし、メンバー同士の絆を
深めていくことになります。
そして11年、上原多香子さんと運命の出会いを果たします。
2012年3月9日、女性4人組グループ・SPEEDのメンバーで女優の上原多香子との婚約を発表した。2012年8月23日に入籍。翌24日に上原のブログで発表した[1]。
2014年9月25日午前7時半頃、大阪府大阪市天王寺区のマンション駐車場の車内で首を吊っているのを心肺停止状態で発見され、間もなく死亡した。35歳没[2]
もともと飯島愛さんなど、芸能界で活躍している人の突然の死は自殺の割合が高い。
しかし、こうした自殺の前後関係が不自然な事例が多く、実際は他殺ではないかとも
言われることが往々にしてあります。
上原多香子さんの旦那のTENNさんも、同様ではないかと噂されています。
次に、上原多香子さんと旦那のTENNさんの結婚の始終とエピソードを合わせて紹介。
旦那のTENNさんの死とともに、上原多香子さんにはお悔やみ申し上げます。
共演の際、TENNさんは上原多香子さんに一目ぼれ。
一方の上原多香子さんは気にかけてさえいなかったそうです。
ここから積極的にTENNさんが上原多香子さんにアプローチを仕掛けます。
数日後、TENNからメールで食事の誘いが
食事は、お酒も飲まず2時間であっさり解散
(もっとチャラチャラしてると思ったら意外と真面目なんだ)
そのギャップに心が動いた
そして2011年9月、「僕と付き合ってください」
旦那のTENNさんは結婚後もとても人が良く、優しい人だったと周囲や上原多香子さん本人も
認めていました。
告白の一言、積極的なアプローチなど、TENNさんは上原多香子さんに対し、
本当に一途な思いをはせていたのでしょう。
出会って3ヵ月で交際へ、さらに
「この先、ET-KINGは大阪に拠点を戻します。そうなれば僕も大阪に住むことになります。一緒に来てくれますか?」
「別にいいよ」上原はあっさりOK。するとTENNは店の中で号泣
上原は、この時点で結婚を意識したという
2012年8月、交際11か月でめでたく結婚
このときの二人の温度差には大きなギャップがあります。
しかし、この温度差こそがまずかったのではないかとも言われています。
死去した旦那のTENNさんは、自殺の直前にはそれをほのめかすような文言は
発しておらず、自殺と考えるにはあまりに不自然なケースです。
先述の通り、芸能界での有名人の自殺にはある「影」がちらついています。
こうしたケース一件一件に絡んでいるのが「関東連合」だといわれています。
上原多香子さんはもともと才能と容貌に恵まれていたおかげか、
それまで対照的な生活を送ってきた旦那のTENNさんと考え方が違うことがしばしばあったようです。
旦那のTENNさんの気遣いに対し、お嬢様気質であった上原多香子さんが受け入れられず、
旦那のTENNさんと大喧嘩することも珍しくなかったようです。
しかし、旦那のTENNさんはそれでも旦那として上原多香子さんに寄り添っていきました。
結果、旦那のTENNさんと上原多香子さんの間には円満な旦那と嫁の関係が成り立ったのです。
上原多香子さん本人にとっても結婚生活は円満だったようで、
結婚生活の様子が常にSNSから発信されていました。
TENNさんが自ら望んだ結婚生活で、自殺をすることはなかなか考え難いものです。
SPEEDの上原多香子(31)の夫でヒップホップグループ・ET-KINGのTENNさんが9月25日、謎の自殺をとげた。29日、葬儀・告別式で喪主を気丈に務めた上原は自身のブログを更新。〈元気な姿を見てもらえるように頑張ります。もう少し待っていてください〉とファンに向けメッセージを送った。
結婚から1年半ほどしか経っていません。
結婚を通して、衝突を超えて二人には明らかな愛がありました。
結婚後の自殺においては、ネットでは「結婚生活が実はTENNさんの負担だったのでは」との声も
ありましたが、結婚生活を追った声明ではそのような様子はありませんでした。
それゆえ、結婚後の自殺はあまりに不可解だったのです。
結婚後すぐに結婚相手が亡くなってしまう上原多香子さんの苦しみは計り知れません。
結婚生活にも異常がなかったことを指摘しています。
有名芸能人や格闘家など、行き場に困った人間たちを暗黙に追い詰めたり、構成員にしている
と噂の関東連合。
そもそも、関東連合とはどのような組織なのか、まずは関東連合についてと、
関東連合の行う卑劣を極める所業を紹介します。
関東連合の構成員は、一度因縁を付けた相手は容赦なく「解体」する残忍さをもち、
殺人にも一切の余念を持たないと言われています。
関東連合(かんとうれんごう[1])は、20世紀から21世紀の初頭期にかけて存在した日本の暴走族[2]。東京都世田谷区や同杉並区の暴走族の連合体として1973年に結成され、2003年に解散[2]。ところが解散後もOB(元メンバー)同士が上下関係に基づく強い絆で結束しているとされ、2000年代から2010年代にかけて、東京・六本木周辺などで発生した各種事件の関係者としてたびたびその名が登場してきた[3]。そうした解散後の状況下にあっては、このOBらの結び付きを指して“関東連合”と一般に呼んでいる[4]。
関東連合は事実上まだ活動を続けていて、関東連合がなくなったとは言い難いのです。
関東連合の名の通り、関東、とりわけ首都にあたる地域の事件で、関東連合の名が
たびたび上がっています。
上原多香子さんも音楽活動を通して芸能界にも出演しており、裏のコネから
関東連合の構成員と知らず知らず関わっていた可能性は否定できません。
また、上原多香子さん本人からは、自身と関東連合とのかかわりについては
述べられていません。
したがって、関東連合との関係性は本当に憶測にすぎませんし、
関東連合の活動地域からはずれていることもあります。
一連の問題でしたが、本人が死去してしまった以上、本当に理由は
分からずじまいなのかもしれません。
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