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青山光司の学歴・経歴とは?前妻や観月ありさとの結婚について

私生活が派手な社長として有名な青山光司。2015年に女優の観月ありさと結婚し、大きな話題となりました。そこで今回は、青山光司の学歴や経歴、前妻である上原さくらや、観月ありさとの再婚について探ってみたいと思います。観月ありさとの馴れ初めは、どういったものだったのでしょうか。

【この記事は2021/05/28に更新されました。】

青山光司のプロフィール

本名(ふりがな/愛称):青山光司(あおやまこうじ/)
生年月日:1972年7月13日
現在年齢:48歳
出身地:岐阜県
血液型:B型
身長:180センチ
体重:55キロ
活動内容:KRH株式会社代表取締役
家族構成:妻

青山光司のwikipediaはない

有名企業の社長であり、女優を妻とする青山光司ですが、彼に関するwikipediaはありません。ただし、青山光司が経営する会社や妻のwikipediaは存在します。そちらは後程ご紹介します。

青山光司はブログやインスタを開設している

青山光司はブログを開設しています。amebaブログにブログがありますが、2014年10月を最後に更新がストップしているでしょう。既に8年ほど更新されいないのです。また青山光司は、インスタグラムも運営しています。1.2万のフォロワーがいて、インスタグラムには妻である観月ありさも登場しています。

青山光司の乗っている車

青山光司は、”フェラーリ王子”と呼ばれるほどフェラーリ好きなのだといいます。社長をしているので、かなりお金に余裕があるためフェラーリを複数台所有しているという話があります。青山光司はフェラーリに乗る以前は、サファリ・フォークリフトを愛車として利用していました。

初めて購入した車はカローラだったそうです。フェラーリを乗ったり、たまにBMWに乗ったりと、青山光司は高級車が好きである模様です。

青山光司の学歴や経歴はどうなっている?

続いては、青山光司の学歴や経歴について迫ってみたいと思います。青山光司は、これまでどういった道を歩んできたのでしょうか。

幼少期の青山光司について

青山光司は元々お金持ちの家庭に生まれ、裕福に育ってきました。青山光司が現在社長を務めているKRHという会社は、元々父親である青山馥(かおる)が創設した会社です。青山光司の両親は、会社を成功させるために必死に働いていたため、幼少期の青山光司の世話を祖母に任せていたとされています。

そんな祖母の実家もかなりのお金持ちだったそうで、青山光司は常にお金持ちの環境で育っていったのです。

少年期の青山光司について

両親や祖母共に裕福だったため、常に欲しいものは何でも買ってもらえるという贅沢な生活を送っていました。小学生であるにもかかわらず、カローラを買ってもらい乗り回すようになったのだといいます。この頃から、”車好き”が始まっていたのかもしれません。

車にのめり込む

青山光司は手に入れたいものは全て手に入れ、苦労することなく生きてきました。そのたため、少々わがままに育ってしまったとされています。高校生の時彼は、校則でバイクを乗ることが制限されてしまいました。クルマ好きな青山光司には拷問のようでしょう。

そんな校則に耐えられず、バイクを乗り回しバギーのレースに出場したり、校則に対する反動なのかさらに車にのめり込むようになったのでした。

車が好きすぎて高校を中退!?

高校時代に車にのめり込んだため、青山光司は学業を疎かにしてしまったといいます。結果として、彼は高校を中退しています。そのため、青山光司の最終学歴は中卒ということになってしまいました。年商150億円の会社の社長が、まさかの中卒とは一体どの様なことなのだろうと思われた方もいるかもしれません。

高校中退後、青山光司は父親が社長を務めていた会社で働き出したとされています。

営業で才能を発揮した青山光司さん

父親の会社で働き始めた青山光司は、どんどんと営業の才能を発揮していきました。その過程において、芸能人など多くの有名人と知り合い人脈を広げていったといいます。そしてその才能を認められ、会社を青山光司が2001年に、当時28歳という若さで引き継いだのです。

その後一気に肩書ともにスーパーセレブの名を手に入れたるため、テレビなどのメディアに出演し、その名を世間にとどろかせることとなりました。

青山光司が社長を務めるKRHとはどんな会社?

次に、青山光司が経営するKRH株式会社についてご紹介します。KRH株式会社とは、一体どういった会社なのでしょうか。

KRH株式会社は年商150億円

青山光司が現在社長を務めるKRH株式会社は、元々は青山光司の父親が信和株式会社を設立し、1988年に「信和サービス株式会社」を設立し、本格的に足場事業を始めたものです。その会社を引き継いだのが青山光司であり、彼は2代目社長となります。

しかし、KRH株式会社は年商150億円と言われています。青山光司は高校を中退しているものの、かなりのやり手ということなのでしょうか。

2007年に会社名を変更した

父親の会社を引き継いだ青山光司は、35歳だった2007年に会社名を現在のKRHに変更し、事業を拡大していきました。そもそも青山光司が社長を務めるKRH株式会社とは、工事現場の足場作業のレンタルや解体、製造を行っている会社です。業界では名が知られている企業でもあります

「くさび形足場」のパイオニア

青山光司は、父親から会社を引き継いでから「くさび形足場」のパイオニアとして、業界を牽引していきました。実は青山光司は、会社を大きくしたやり手の社長だったのです。テレビでは「フェラーリ王子」や「豪邸に住んでいる」など、青山光司さんはただのチャライ若手社長として扱われることもありました。

しかし現在も、父親が起業した岐阜県に本社を置き堅実経営を行っている模様です。

モータースポーツ事業も行う

車好きな青山光司が経営する会社・KRH株式会社は、モータースポーツ事業にも取り組んでいるといいます。ジャパン・ルマン・チャレンジ(JLMC)、SUPER GTなどの日本で行われるレースに参加したことがあり、JLMC 2006年・2007年 シリーズでチャンピオンを獲得しました。

モータースポーツ事業の他にも、レコーディングスタジオや財団法人国際調和クラブを設立するなど事業を展開しています。

弟が経営しているとの噂

青山光司は幼少期から苦労なく育ち、軽めの印象から良くない評判もあります。しかし、社長を務める会社の評判は上々なようです。経営の状況についてはなかなか上々なようですが、株式は非上場となっています。

中卒で遊び人な青山光司はまともに仕事をしているように見られず、実際の経営は弟がしているのではないかという噂もありました。青山光司はビジネスの一環として、民泊ビジネスに参入したそうですが、半年で損失を出してしまいました。

その点も、弟が経営しているという噂の原因の一つになったと考えられています。彼は、民泊ビジネスでの損失について本を出版しており、本の印税で損失を回収しているのではないかと言われています。

青山光司の前妻は上原さくら?

次に、青山光司の結婚について探ってみたいと思います。彼には離婚歴があり、前妻は上原さくらだというのですが、本当なのでしょうか。

2011年4月に結婚

青山光司は2010年12月22日に婚約をし、2011年4月に結婚しました。そして、その後にグアムにおいて結婚式を挙げています。青山光司が37歳になる年のことです。続いては、彼が結婚をした相手についてお伝えします。

前妻は上原さくら

青山光司が最初に結婚したのは、タレントであり女優の上原さくらでした。上原さくらは現在45歳となります。そして彼女は、2003年にアパレルメーカー社長・遠藤憲昭と結婚しています。結婚の際には妊娠をしていましたが、結婚の発表をした2週間後に流産をした過去もあるのです。

遠藤憲昭とは、2009年11月に離婚をしました。

2人の目撃情報など

上原さくらが遠藤憲昭と離婚をした2か月後の2010年1月に、青山光司は上原さくらと芸能人御用達だという焼肉店に入店するところを、週刊誌の記者に目撃されました。またその数日後には、女性の友達と焼き肉店で食事をしていた上原さくらを、青山光司がスポーツカーで迎えに来たといいます。

2人はその後、青山光司の豪邸へと帰っていったとされています。なお青山光司がその際に乗ってきたスポーツカーは、上原さくらが所有する車であった模様です。

離婚協議の末に離婚

2012年11月に、上原さくらが夫・青山光司と別居中であることを所属事務所を通して認めました。翌年の1月には、離婚協議中であることを青山光司がブログで明かしています。離婚協議中であった2013年3月に、上原さくらが不倫相手とホテルに入るところを週刊誌に報じられました。

これにより、上原さくらは当初5億円という慰謝料を要求していたものの、結果として慰謝料0円にて離婚が成立しています。これは上原さくらの不倫が原因です。

上原さくらは自殺未遂を起こしていた

2013年2月に週刊文春が、2012年11月に上原さくらが複数回にわたり自殺未遂を起こしていたことが報じられました。青山光司から離婚を切り出された際に、彼女は睡眠薬を大量に摂取したのです。その後に上原さくらは、母親の勧めにより病院に入院しました。

しかし彼女は、病院を抜け出して近くのマンションの屋上から飛び降りました。上原さくらは、飛び降りたマンションの13階と14階の、階段の踊り場においてマンションの住民に発見されています。その際の彼女は、「飛び降りるためにここに来た」や「遺書を送ったから死ななきゃ」と言い、錯乱していました。

また上原さくらは、元夫の遠藤憲昭や知人ら宛ての遺書メールも送っていたといいます。

青山光司が観月ありさと結婚した?

続いては、青山光司の現在の妻についてお伝えします。青山光司の現在の妻は、女優の観月ありさなのです。2人の馴れ初めなどは、どういったものだったのでしょうか。

2015年に観月ありさと再婚

青山光司は、2015年3月に女優の観月ありさと再婚しました。現在も円満であり、結婚してから8年目となっています。

青山光司と観月ありさの馴れ初め

青山光司と観月ありさは、2013年の秋ごろから交際がスタートさせた模様です。元々2人は友人同士だったといいますが、食事デートを重ねていくうちに親密な関係になっていったようです。

観月ありさの事務所は反対

ただ交際当初は、観月ありさの所属事務所は青山光司との交際を反対していました。それは、青山光司にはタレントの上原さくらとの泥沼離婚歴があるからです。離婚裁判中に、上原さくらさんが不倫相手とホテルに入っていくところを週刊誌にスクープされ、結局慰謝料は0円で離婚が成立しました。

そうしたこともあり、イメージがあまり良くなかった青山光司に対して、観月ありさの所属事務所は、2人の交際を心配していたのかもしれません。

観月ありさが結婚生活を語った?

観月ありさが、2015年7月に放送されたテレビ番組『ダウンタウンなう』に出演しました。その際に、彼女は青山光司との結婚生活について語っています。

ご飯をつくらない

観月ありさは、これまで彼氏に一度も手料理を作ったことがないといいます。それは結婚をしてからも変わらないのです。朝ごはんさえもつくらず、夫婦別々に食べるといいます。2人で顔を合わせて朝食を食べることはないようです。お互い忙しいので、その方が効率がいいのかもしれません。

結婚をして観月ありさの生活が変わった

さらに、観月ありさは青山光司と結婚をしてから生活スタイルが随分変わってしまったようです。一人暮らしの時は家事をしっかりこなしていたといいますが、結婚してからは一切家事はしていないと語っています。洗濯は、青山光司が担当している模様です。

さらに、日常品は青山光司の会社の方が買ってきてくれるという話がもあるでしょう。おそらく、青山光司は観月ありさに主婦になってもらいたいわけではないのかもしれません。

青山光司がセレブな結婚式を挙げた?

青山光司と観月ありさの結婚式について、最後にお伝えします。2人の結婚式はどういったものだったのでしょうか。

バリ島で結婚式

青山光司と観月ありさの結婚式が、バリ島で行われました。青山光司は薔薇をあしらった衣装を着て登場し、観月ありささんはミニスカートのウエディングドレスを着用しています。

著名人が参列

青山光司と観月ありさの結婚式には100名程度が訪れ、著名人が参列しています。例えば渡辺謙やBIGBANGのメンバーであったスンリことV.Iも参列したといいます。なおスンリとは、青山光司が仲が良いでしょう。

式後に隣の島の火山が噴火

結婚式は和やかな雰囲気で終わったものの、参列者を見送った後で参列者が戻ってきたのです。なんと、隣の島の火山が噴火したといいます。噴火に伴い、飛行機も欠航となってしまいまいました。仕事がある参列者もいるため、帰る手段を講じるために青山光司と観月ありさは大慌てだったのでした。

すぐに仕事がある人のために、その後に苦労をして自家用ジェットを手配したというのです。

青山光司は元々観月ありさと友人同士だった!

年商150億円の会社の社長を務める青山光司ですが、学歴は中卒という意外なものでした。しかし、父親から受け継いだ会社を大きくし、多くの社員の生活を支えてきました。そして青山光司は、上原さくらとの離婚歴もあるものの、現在は元々友人同士だったという女優の観月ありさと再婚しています。

仕事だけでなく、青山光司さんの結婚生活も順調に進んでいくことを願うばかりです。

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