1959年、背番号『1』をもらい、読売巨人軍に入団します。入団後はバッターとして打席に立ちますが、思うような結果が残せませんでした。 入団2年目の1961年のシーズンオフ、荒川博コーチが巨人の打撃コーチに就任します。 当時の監督、川上哲治さんは王貞治さんの素質を見抜いており、荒川博コーチに王貞治さんのフォーム改造を命じます。 この頃、荒川博コーチと二人三脚で練習に励んた王貞治さんは、代名詞である『一本足打法』を編み出します。 1977年には初めて、本塁打王・打点王を獲得し、これ以降数々の成績を残す選手に成長しました。 1980年11月、王貞治さんは引退を表明し、野球選手としての生活に幕を閉じました。 その後、巨人・ダイエーホークスや日本代表の監督を務め、現在は福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長兼ジェネラルマネージャーに就任し、球団に尽力しています。

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