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【浅田真央】TVでは語られない亡くなられた父と母の真実とは

フィギュアスケーターとして人気を博した浅田真央。2017年に惜しまれながらも引退。現在はアイスショーでの演技やタレント業で活躍。そんな彼女は、両親を亡くしています。小学生の頃に父が死、2011年には母が亡くなられました。今まで語られなかった浅田真央の両親についてまとめました。

【この記事は2019/11/11に更新されました。】

最愛の母を亡くしたフィギュアスケーター・浅田真央

誕生日:1990年9月25日
星座:てんびん座
出身地:愛知県名古屋市
学歴:中京大学
血液型:B型

浅田真央さんの姉は、浅田舞さん!

浅田真央さんの姉は、元フィギュアスケート選手で現在はタレントとして活躍されている浅田舞さんです!これから紹介する浅田真央さんのご両親は、当然、浅田舞さんのご両親でもあります。

浅田真央さん、浅田舞さんのご両親は、娘2人にフィギュアスケートを習わせ、世界の舞台やメディアで活躍するようになるすごい人を育て上げたのですね!

両親について知る前に!浅田真央さんのフィギュアスケーターとしての活躍歴をおさらい!!

浅田真央さんとスケートの出会いは、5歳のときだったそうです。当時、バレエを習っていた浅田真央さんは、バレエで使う足首を鍛えるためにスケートを始めたんだとか。お姉さんの舞さんと共に入会したスケートクラブには、当時、安藤美姫さんも在籍していたんだそう。そこから、浅田真央さんのスケート人生が始まります。

浅田真央さんが、最初に脚光を浴びたのは小学6年生のとき。浅田真央さんは、当時、特例で出場した全日本選手権にて、やや不完全ながらも3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプ(3回転フリップ-3回転ループ-3回転トウループ)を跳ぶことに成功。世間から「天才少女」として注目を集めます。

その後は、国内での全日本ジュニア選手権で優勝、世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を果たすなど、順調に成績を残していきます。拠点を海外に移すなどしながら練習に励み、バンクーバーオリンピック、ソチオリンピックなどに出場しました。

浅田真央さんの主な活躍年表は、次の通りです。

浅田真央さんの活躍年表

2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト[5]。
2014年ソチオリンピック日本代表(6位)。
2008年、2010年、2014年世界選手権優勝。
グランプリファイナル優勝4回。
グランプリシリーズ通算14勝。
2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた[6]。
また、2014年のソチオリンピックでも女子史上初となる6種8トリプルジャンプ着氷を披露した

出典:http://ja.wikipedia.org

浅田真央さんの知られざる両親【父親】

現役時代は名古屋で人気トップクラスのホストだったようで、ホストクラブ「カーネギー」という超有名店のオーナーでもあったようです。

浅田真央の両親・父親は、浅田敏治さん(享年56)

小学生の頃に父親が死去。

出典:http://news.livedoor.com

名古屋市内の通称「女子大小路」と呼ばれる一角で、真央の父・敏治(56)は売れっ子ホストとして知られた存在だった。

出典:http://news.livedoor.com

浅田真央さんの両親・父親である敏治さんは、「源氏名:沢村翔」として活躍していた。

浅田真央さんの両親・父親の敏治さんの印象

浅田真央さんの父は、付き合っていた女性に暴力を働き女性は病院へ緊急搬送になる事態があったそうです。優秀な娘を育てた父ですが、浅田真央さんを悩ませる一面もあったようです。

180センチ近い長身、ロマンスグレーを横分けにした風貌は歌手の玉置浩二を彷彿させる。

出典:http://news.livedoor.com

直撃取材は真央の女性マネジャーに制止されたが、父の娘へのまなざしは柔和そのもの。

出典:http://news.livedoor.com

浅田真央が、小学生の頃に亡くした両親・父親。
とっても悲しい出来事です。

浅田真央さんの知られざる両親【母親】

浅田真央さんの両親・母親は、浅田匡子さん

浅田真央さんの両親(母親):匡子さん(享年48)

11年12月に早世した真央の母・匡子(享年48)も若くして両親を失っている。

出典:http://news.livedoor.com

姉と2人、それこそ身を削るような努力で生計を立ててきた女性だ。

出典:http://news.livedoor.com

浅田真央さんの母親が、娘に託した思いとは?

母には家庭の事情で諦めた夢があった。プロのバレエダンサーになる。
その夢を託すように真央には3歳からバレエを習わせた。

出典:http://matome.naver.jp

浅田真央さんの母の死因【肝硬変】とは

様々な肝臓の病気(C型、B型肝炎・脂肪肝・アルコール性肝障害など)が長い経過をたどって進行した結果、肝臓に線維化(やけどの後の引き攣れのようなもの)が起こり、肝臓の正常な構造が寸断されるものです。

最期を看取ることはできなかった…

匡子さんの病状が悪化していた晩年は入退院を繰り返していたといい、浅田選手はグランプリ(GP)ファイナルの開催地・ケベックの現地で容体急変の連絡を受けたという。

急遽欠場を決めた浅田選手は、コーチとともに帰国。同日午後に帰国したが、間に合わなかったそう。

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母の肝硬変の発症には過去の職業が関係していた⁉

浅田真央さんの母の職業はホステスが濃厚なようです。様々な噂が飛び交い、中にはスナックのママをやっていたというものも。全てが本当かはわかりませんが、細かく当時の浅田真央の母親について書かれている事もあったので可能性大です。

娘からの移植を拒否

肝臓を移植すれば、母は延命できたかもしれないという話があります。その時に一番適合するのが浅田真央の姉である浅田舞さんでした。

浅田真央の姉は肝臓を移植する事に合意をしていたらしいのですが、母親自身が移植を拒否しました。娘にメスを入れさせることに耐えられなかったのでしょうか。

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浅田真央の両親の出会い

青春を犠牲にして働いた男女は夜の街で出会い、やがて結ばれた。後の天才少女が生まれたのは、1990年9月25日。

出典:http://matome.naver.jp

宝塚ファンの父はトップスター大地真央にちなんで「真央」と命名した。

出典:http://matome.naver.jp

2011年に亡くなられた浅田真央の両親の母。
母親は、夫である敏治さんが亡くなられた時にこう語っていました。

「あの頃が一番苦しかった。一家が破産してもおかしくなかった」

出典:http://matome.naver.jp

しかし、女手ひとつで浅田真央、そして姉の浅田舞を育て上げた母。

そして父。立派な両親に育てられた浅田真央。

浅田真央と両親の間でのエピソード

それでは、最後に、浅田真央と両親(母親)の間でのエピソードを少しご紹介していきます。

競技歴のない母は浅田を強くするために一人で学んだ。トレーニングの本を購入し、1998年長野五輪を制したタラ・リピンスキーの演技を映像で見て、夜中まで研究した。母は「素人が何をやっているんだ」という声にも屈しなかった。

出典:https://ja.wikipedia.org

フィギュアをさせたのは、娘にクラッシクバレエをさせたかったから。足首などをを鍛えるために始めさせた

出典:http://sankei.jp.msn.com

伊藤みどりを育てたコーチを直接訪ね、頭を下げ真央を弟子入りさせた

出典:http://www.news-postseven.com

娘には自らのバレエの経験を生かした技術的なアドバイスをしていた

出典:http://sankei.jp.msn.com

真央が銀メダルを獲得したバンクーバー五輪の時も、
ホテルでテレビの前にいたがスイッチは入れられず、
ひたすら勝利を祈っていた

出典:http://sankei.jp.msn.com

浅田真央という娘のために、精一杯陰で支えていった両親(母親)の匡子さん。

世間から、常に浅田真央が大注目される中で、いつもそばにいてサポートしていたそうです。

両親に温かく育てられた浅田真央・今後に注目

浅田真央は、天才フィギュアスケーターとしてその名を世界中に知れ渡っています。
いつも、明るく前向きな浅田真央ですが、その裏では、両親がはやくに亡くなられていたのですね。

これから、浅田真央・浅田舞で2人で両親の教えを元に日々前を進んでいくのでしょう。
今後の2人を温かく応援していきたいですね。

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