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浅田真央の両親。メディアが報じない浅田真央の私生活とは?

先日フィギュアスケート選手として現役復帰を果たした浅田真央選手。浅田真央選手といえば母親を亡くされていることは知られていますが、両親の詳しい話というのはメディアでは報じられません。いったい浅田真央選手の両親とはどのような方たちだったのでしょうか?ご両親を紹介。

浅田真央の紹介

浅田真央さん

プロフィール

浅田真央
生年月日:1990年9月25日
出身地:愛知県名古屋市
身長体重:163cm・47kg

名前の真央は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来する

出典:https://ja.wikipedia.org

浅田真央選手の名前について、早くもご両親のエピソードを一つ見つけました。
「真央」という名前は父親が「大地真央」さんのファンだったことからつけられたそうです。

ちなみに、お姉さんの浅田舞さんのお名前にもなにか両親のエピソードがあるのかと思い調べてみましたが残念ながら見つかりませんでした。

尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどり、エフゲニー・プルシェンコ
伊藤の衣装を着用して競技に臨んだこともあり、「みどりさんの衣装を着るといつも調子がいい」と語っていた

出典:https://ja.wikipedia.org

ちなみに、小学生のときには伊藤みどりさんを育てたことで知られるコーチ・山田満知子さんの教えを受けています。

2005年の世界ジュニア選手権で優勝した時からトイ・プードルを飼いだした。愛犬の「エアロ」は、ネスレのチョコレート菓子「エアロ」に由来しており、同製品のイメージキャラにも選ばれた

出典:https://ja.wikipedia.org

浅田真央選手と愛犬

愛犬を飼っていることは有名ですね。
エアロとは共にメディア出演したこともありました。

主な戦績

2004-2005シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)で出場した3戦全てで優勝し、ジュニアデビューを飾る

出典:https://ja.wikipedia.org

2005-2006シーズン、初のシニア国際大会となるGPシリーズ中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では優勝した。GPファイナルでは世界女王のイリーナ・スルツカヤを破り、日本代表選手として村主章枝以来2人目の優勝を果たした

出典:http://ja.wikipedia.org

ちなみに、この大会で優勝したことによりトリノ五輪出場を期待する声が上がったものの「五輪前年の6月30日までに15歳」というルールにより惜しくも出場できず。覚えている方も多いのではないでしょうか。

2011-2012シーズンはGPシリーズ初戦のNHK杯で2位、ロステレコム杯では日本選手最多となるGPシリーズ8度目の優勝を果たし、3季ぶりにGPファイナル進出を決めた

出典:https://ja.wikipedia.org

カナダでのGPファイナル開幕直前、以前から体調不良だった母親の健康状態が悪化したとの日本からの連絡を受けて帰国、ファイナルを欠場した。その後母は肝硬変のため死去、48歳没。浅田はその死の際に間に合わなかった

出典:https://ja.wikipedia.org

ここでも有名な両親とのエピソードを一つご紹介。
カナダGPファイナル進出を見事に決めた浅田真央選手でしたが、開幕直前になって母親である匡子(きょうこ)さんの体調が悪化したとの連絡を受けてファイナルを欠場します。
しかし匡子さんの死に際に立ち会うことができず、浅田真央選手はショックを受けたようです。

浅田真央の両親。あまり知られていない私生活とは。

両親の紹介1 母親の匡子さん

浅田真央選手の母・匡子さん

2011年に亡くなった浅田真央選手の母親・匡子さん。
浅田真央選手のご両親を紹介する上で、まずは匡子さんとのエピソードを見ていきましょう。

「匡子さんは両親が早くに亡くなったこともあり、苦労されたんです。そんなこともあり、自分たちの娘にはやりたいことを何でもやらせてあげたいと思いバレエからジャズダンス、ピアノなどを習わせていました」(浅田家の知人)

出典:http://www.news-postseven.com

他の習い事は続かなかった真央だが、フィギュアは喜んで通った。
「スケートは大好き!」
真央は朝から晩までリンクで滑り続けた。

出典:http://www.news-postseven.com

浅田真央選手の母・匡子さんは早くにご両親を亡くされ、お姉さんと二人で大変苦労してやりくりされていたそうです。そんな思いを子供たちにはさせたくないと、好きなことはなんでもやらせてあげようと思ったそうです。

真央が小学生のとき、日本人初のフィギュア五輪メダリスト伊藤みどり(40才)を育てた名コーチ、山田満知子さん(66才)の存在を知った。すぐに直接訪ね、頭を下げた。
「明日から一日も休まず練習させますから、真央を教えてください」

出典:http://www.news-postseven.com

ほかの習い事はあまり続かなかった浅田真央選手も、スケートは大好きでよく親子でリンクに通い練習をしたとか。
それを見て匡子さんはコーチについて自分で調べ、直接出向いて浅田真央選手のコーチを依頼します。
愛する娘のためとはいえ、その行動力には驚きです。

当時の様子を匡子さんはこう振り返る。

「子供たちと約束したことがあるんです。それは、やると決めたことは投げ出さないで最後までやり遂げるということ」

出典:http://www.news-postseven.com

まだまだこれから浅田真央選手の活躍も見たかったことでしょう。
自らの両親と同じく、若くして亡くなってしまったことが残念です。

両親の紹介2 敏治さん

浅田真央選手の父・敏治さん

こちらは浅田真央選手の父・敏治さんです。前述の匡子さんは亡くなられたときに大変大きな話題となってニュース等にも取り上げられました。ですが敏治さんについてはほぼメディアの露出がありませんから、ご存知ない方も多いでしょう。

ご両親の紹介、次は敏治さんについて見てみましょう。

小学生の頃に父親が死去。繁華街で働いて、家計を支えてきた苦労人だ。

出典:http://matome.naver.jp

敏治さんも幼いころに父親を亡くし、若いころから繁華街で仕事をしながら家族を支えていた過去を持っていました。
浅田真央選手のご両親は、そろって大変な苦労をされてきた方たちだったのです。

名古屋市内の通称「女子大小路」と呼ばれる一角で、真央の父・敏治(57)は売れっ子ホストとして知られた存在だった

出典:http://matome.naver.jp

ご紹介した写真を見てもかなりのイケメンだということが分かる敏治さん。
繁華街でホストをしていた時期があるらしく、売れっ子としてかなり有名だったそうですよ。

父は破産寸前まで姉妹に投資し、消費者金融からお金を借りていた

出典:http://news.livedoor.com

浅田真央選手やお姉さんの舞さんのために、敏治さんはかなりの額を投資していたそうです。
消費者金融から借金をしなければならないほどであったということですから、両親そろって浅田真央選手、舞さんのためになにかしてあげたい!という強い愛情を感じます。

ホスト時代の敏治さん

沢村 翔というのはホスト時代に名乗っていた源氏名のようです。
とても素敵ですよね。浅田真央選手のご両親はお二人とも苦労人、そんな二人がふと街角で出会い結婚・・・。なにか運命のようなものを感じます。

両親と浅田真央選手。こんなほほえましいエピソードも。

「匡子さんは朝から晩まで姉妹に付きっきりでした。コーチに積極的に質問をし、あいた時間にはコーチが“少し休ませたら”というまで練習を続けさせていました。真央ちゃんがお母さんを怖がって、お父さんばかりにくっつくようになった時期もあったほどでした」(匡子さんの知人)

出典:http://www.news-postseven.com

浅田真央選手と匡子さんがコーチと共に練習に励んでいた頃のことです。
浅田真央選手の練習時間は当時20時間近くにも及んだとか。あまりに匡子さんが厳しかったために、敏治さんに懐いていたことがあったとのこと。

ご両親とのエピソードというのは調べてもなかなか出てこないのですが、これは浅田真央選手とご両親の心温まるお話です。

両親の覚悟・浅田真央を金メダリストに!

ここまで見ても分かるように、浅田真央選手はご両親の深い愛情に育まれてきました。
ところが、スケート選手の育成というのはとてもお金がかかるもの。スポンサーがつくまでは莫大な出費が必要だと聞きます。
そこで両親のとった行動とは。

スケートだけに集中せよ!

「真央ちゃんが初めてリンクに立ったのは、5歳のとき。足首が鍛えられてバレエが上達する。そう考えて匡子さんはフィギュアを学ばせたのです」(浅田家の知人)
あくまで「バレエのためのフィギュア」で、真央はメキメキと頭角を現していく。小3で全日本の新人発掘合宿に招集。

出典:http://matome.naver.jp

ご両親は最初、母・匡子さんの夢でもあったバレエを浅田真央選手に習わせていました。フィギュアスケートは、バレエのために習っていたのです。ところが浅田真央選手のスケートの才能はすさまじく、これには両親もきっと驚いたことでしょう。

この子を金メダリストに育てる――。

両親も腹をくくった。バレエ教室をやめ、放課後は母の車で大須のリンクに移動し、連日5時間の猛練習。

出典:http://matome.naver.jp

ついにご両親は「バレエのためのフィギュア」ではなく、「フィギュアで金メダルを」と考えバレエ教室をやめさせます。そして匡子さん自らが送り迎えをし、放課後はリンクで猛練習に励むことになるのです。

スケート優先の生活で学校を休む日も増え、同級生と遊ぶ時間もなくなった。

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ご両親のフィギュアと浅田真央選手に対する情熱はすさまじく、ついには学校を休んで練習という日が多くなっていきます。
当時の浅田真央選手はどう思っていたのでしょうか?いくらスケートが好きだとしても、まだ小学生。きっと友達と遊びたかったと思います。

浅田真央選手のために・・・借金まで!

コーチの指導料、有名クラブの登録料、衣装代、遠征費……。

1年で大手企業の会社員の年収分が軽く吹き飛ぶ。

しかも姉の舞も国内トップ級のスケーターだ。

出典:http://matome.naver.jp

浅田真央選手・舞さんのために、ご両親は家計をやりくりしながら多額の費用を工面していました。浅田真央選手だけでも大変でしょうが、姉の舞さんもトップレベルのスケート選手でしたから、想像を絶する苦労がご両親にはあったと思います。

独立した父の経営店は大繁盛だったが、姉妹の育成費を捻出するのは至難のワザだった

出典:http://matome.naver.jp

父・敏治さんはこの頃、独立して自分のお店を経営していました。昔は有名なホストだったということもあり、経験を生かしてかなりお店は繁盛していたそうです。しかしそれだけではとても出費をまかなうことはできませんでした。いったいご両親はどのようにして費用を捻出していたのでしょう。

真央誕生の翌年に3階建ての住居を新築。

父はそのローンを抱えながら、05年8月に土地建物を担保に差し出し、大手消費者金融からカネを借りた。

極度額は1300万円に上った。

出典:http://matome.naver.jp

ご両親は浅田真央選手・舞さんのために多額の借金をしてまで費用を捻出し、浅田真央選手と舞さんをサポートしていたのです。
これも全てはご両親が、自分たちのように苦労してほしくないとの想いからなのでしょう。ちなみに、浅田真央選手・舞さんがスケートで稼いだ賞金も、次の大会のための費用に充てたりしていたそうで、この借金を完済できたのはつい最近だったという話もあります。

両親の涙ぐましい努力・・・しかし美談だけでは終わらない。

ここまではご両親と浅田真央選手のエピソードや、浅田真央選手の活躍の裏にあったご両親の努力を見てきました。感動的なお話でしたね・・・両親の支えが、浅田真央選手には欠かせなかったのです。

と、ここで締めくくろうと思った途端とんでもない記事が目に飛び込んできたのです。その内容とは!?

浅田真央の父・暴力事件で逮捕!?

事件を報道する週刊誌

現役続行を表明した浅田真央(24)と、現在はタレント活動を中心とする姉の浅田舞(27)。そんな姉妹の父親・浅田敏治氏(56)が暴行容疑で逮捕されていたと、7月30日発売の『週刊新潮』(新潮社)が伝えている。

出典:http://dailynewsonline.jp

『週刊新潮』によると、真央が復帰宣言した直後の5月23日、父・敏治氏が逮捕されていた。前日の22日、敏治氏は交際相手の50代女性に対して暴力を振るったため、身の危険を感じた女性が警察に通報。女性は病院に緊急搬送され、敏治氏が逮捕されたという。

出典:http://dailynewsonline.jp

2015年5月。浅田真央選手が現役続行を発表して直後のこと。
あれだけ浅田真央選手に全力を注ぎ見守ってきた父・敏治さんが、交際中の女性に暴力を振るい逮捕されたと一部週刊誌で報じられました。
取材に対して敏治さんは「娘とは一切関係ない」とコメントしているそうですが、浅田真央選手に与える影響は計り知れないものがあるでしょう。

現役復帰の浅田真央。その私生活は波乱万丈だった。

両親の愛と努力の結晶・浅田真央選手。
休養を終えて復帰した浅田真央選手の知られざる私生活はまさに波乱万丈。母の死・父の逮捕・・・乗り越えなければならない壁はこれからも続々と出てくることでしょう。

もう一度、あのリンクの上で輝きを取り戻してほしい、がんばれ、浅田真央!

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