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安室奈美恵を語る!過酷な人生、そして母として、その先にあるのは?

19歳で妊娠、結婚と幸せの絶頂にあった安室奈美恵さん。そんな中、安室奈美恵さんの母恵美子さんが殺害される。その後、人気の陰り、離婚とどん底に。そんな安室奈美恵さんを支えていたのは亡き母と最愛の息子だった。シンガー、女性、母の三つの顔を持つ安室奈美恵さんに迫る。

安室奈美恵さんの実母殺害事件とは?

今やスーパースターとして日本の歌謡界を牽引する安室奈美恵さんですが、これまでに様々な苦悩を経験されています。

 

特に実の母親が殺害された事件は、世間でもセンセーショナルなニュースとして取り上げられました。

今回は、その一部始終を整理していきたいと思います!

安室奈美恵さんプロフィール

安室奈美恵さんは沖縄県出身。

初めはスーパーモンキーズの一員としてデビューを果たすも、目立った活躍はできなかったようです。

その後プロデューサーである松浦氏との出会いなど、運命的なきっかけを経てスーパースターへの道を歩み始めます。

安室奈美恵さんデビューの軌跡!

まさかの出来事!アクタースクールへの入学!

デビューまでの安室さんはかなり貧しい生活をしていたよう。

家賃4000円、母と兄弟3人で寄りそうように暮らしていたみたいです。

 

そんな貧しい家庭で育った安室奈美恵さんですが、友達の付き添いで沖縄アクターズスクールを訪れたことで運命が変わり始めます。

スクールの校長の目に留まりスカウトをされるも、一旦は貧しさゆえに入学を断念。

しかし「必ずスターになれる」と確信した校長は、異例の特待生として学費免除で入学を許可しました。

念願のデビューと苦難の日々

アクタースクール入学から4年後、スーパーモンキーズのメンバーとして念願のデビューを果たしますが、最初は鳴かず飛ばずの恵まれない日々でした。

 

「デビューさえすれば歌番組にもたくさん出演できるし、コンサートもできる」

そう信じて4年間ひたすら頑張ったてきたのに、きっと落胆したことだと思います。

街で同じ歳の女子高生を見かけるたび、制服を着た「普通の女の子」になればよかったと後悔したそうです。

スーパーのイベント、番組の前座、子ども番組で着ぐるみを着ての出演。

来る仕事はなんでもこなしたと安室さんは語っています。

 

特に「ポンキッキーズ」のウサギの着ぐるみを切るのが超恥ずかしかったよう。

嫌な仕事だったけど、それが幅広い世代の人に知ってもらうきっかけになり、今では感謝しているようです。

スーパースター安室奈美恵登場!

運命の出会い

ユニットを再編し、「安室奈美恵 withスーパーモンキーズ」として活動を開始。

安室奈美恵さんの歌唱力にavexの松浦氏が目を付けました。

この出会いが運命を大きく変える一歩となります。

 

彼のプロデュースした「TRY ME 私を信じて~」「陽のSEASON」が立て続けにヒット。

さらに松浦氏のパートナーでもあった小室哲哉さんの目にも留まります。

 

「ぼくが描く女の子を安室奈美恵でプロデュースしたい」

小室さんのこの申し出が安室さんのキャリアを大きく変えます。

『Body Feels Exit』累計88万枚

『Chase the Chance』436万枚

『Don’t wanna cry』 139万枚

『You’re my sunshine』 110万枚

とミリオンセラーを連発。快進撃は続きます。

アムラーファッション

キュートなルックス、抜群の歌唱力、ダンス。

そんな安室奈美恵さんに、10代の女の子達はに夢中になりました。

安室奈美恵さんのファッションをまねた「アムラー」と呼ばれた女の子達が巷ににあふれ、社会現象までに発展します。

出す曲出す曲オリコントップ10入りをキープ。

1997年リリースの「CAN YOU CELEBRATE?」はダブルミリオンを突破。

オリコン年間シングルチャート首位を獲得。

最少年でレコード大賞受賞、4大ドームツアー制覇...

ついにトップスターの地位につきます。

 

ところが同年10月、突然の妊娠、結婚を発表。

世間は驚きを隠せませんでした。

お相手はダンサーのSAMさん。

幸せそうな二人の姿にメディア、ファンも祝福しました。

年末には紅白歌合戦でトリを務め1年間の産休、 1998年温人君を出産。

母としての幸せも手に入れます。

 

同年、紅白歌合戦では1年ぶりに姿を見せ、会場からの温かい拍手に涙する場面もありました。

突然の不幸は、そんな順調な人生の矢先に訪れました...。

実母殺害事件に日本中が衝撃を受ける

悲しみに暮れて

1999年3月CMイベント会場入りをしていた安室奈美恵さんに、マネージャーから「母親が事故にあったようだ。」と告げられます。

不安な時間を過ごした後、母である恵美子さんが(母の)義弟に殺害された事がわかり、急遽イベントは中止に。

トップスターの母殺害という事件は連日テレビに取り上げられ、マスコミやカメラマンに追われることになりました。

仮通夜で安室さんは母を呆然と見つめ続けた後に大粒の涙を流していたようです。 告別式では、奈美恵さんはSAMさんと向かい合わせに座り、ハンカチを握りしめ、時折遺影を眺めながらも無表情のまま悲しみをこらえ気丈に振舞っていました。

逆に隣で終始涙する姉を気遣う様子も伺えたといいます。

 

失意の中にあった安室さんですが、早くも事件後12日後には音楽番組に姿を現します。

安室さんががステージに登場した瞬間、観客からは割れるような大歓声や「安室ちゃんガンバレ」とのプラカードが掲げられていました。

さすがに、司会のダウンタウンの二人も口が重く緊張した雰囲気が漂っており、安室さんはは「すいません、ご心配おかけしました、元気です。」と第一声コメントし、笑顔で応対したようです。

 

気丈に答える安室奈美恵さん。しかしその心中は、

『母の死は私を地獄へと突き落としました。何もできなかった。』

と自分自身の無力さを責めていたようです。

 

さらに

「母のことがあってからずっと辛かった。もう歌うことも「安室奈美恵」でいることもやめたいと思った。でも、今がどん底でもうこれ以上落ちることは無い…そう考えると少しづつ楽になっていった」

とコメントしており、事件が落ち着いた後もなかなか傷が癒えることがなかった事がうかがえます。

失意のなか安室奈美恵さんへのバッシングも!

そんな安室奈美恵さんにさらなる試練が襲います。

事件後に露出が減ったことで、宇多田ひかる、浜崎あゆみなど新たな新星が出現してしまいます。 「安室の時代は終わった」と忘れ去られそうになってしまいました。

さらに、それだけでなく夫SAMさんとの仲もぎくしゃくし、ついに離婚へ至ります。

親権はSAMさん、養育は安室奈美恵さん。 ただ、離婚したといっても同居しながらお互いに必要な時に面倒をみる、そういったスタイルで養育をしていたようで、これも世間の理解を得られずバッシングにつながりました。

 

ライブなど子育てに専心できない状況で努力を続けるも、安室奈美恵さんは母としての資質を疑われる結果になってしまいます。

ここから「子供を捨てた」といったバッシングが続きます...。

安室奈美恵さんを支えてくれたもの

世間のバッシングにもめげず、自分の信じる道を貫いてきた安室奈美恵さん。

メヂィアからは姿を消し、ライブを中心に活動を続けていきます。

そんな安室奈美恵さんを支えていたのは、亡き母と、息子「温人君」の存在でした。

 

「一人の母親として息子のために頑張らなきゃいけない。息子が生きがい。」

そう語った安室奈美恵さんは家族への思いを続けます。

「自分自身の事であれば何を書かれても構わない。でも、大切な家族や自分の生き方を『安室奈美恵』の犠牲になんてさせない。」

母への想い

母の事を心に刻むように右腕にタトゥ―が。

タトゥーには以下のように刻まれています

 

JUN.30 in 1950

my mother's love lives with me Eternally in my heart

R.I.P

MAR.17 in 1999

 

意味は次の通りです

 

1950年6月30日(母親の生年月日)

母の愛は私と一緒に生きている、私の心の中で永遠に

rest in peace(安らかに眠れ)

1999年3月17日(母親が亡くなった日) 

 

その下には息子温人君の名前も見えますね。

ひとりの母として

「親が芸能人だからって、子供の学校や、生活を疎かにするわけにいかない」

 

そうコメントしていた安室さんは、温人君が小学校に上がってから出来る限り積極的に学校行事にも参加したり、お弁当も一生懸命手作りしてきたそうです。

ライブを除いて夕方18時以降、土日は仕事はしないと宣言。

 

温人君と過ごす時間を大切にし、プライベートでは母として息子温人君にすべてを注いでいたようですね。

息子温人君が安室奈美恵さんの復活の原動力だったようです。

完全復活!

2001年に小室哲哉さんの手から離れると、大好きなR&B,HIP-HOPの曲をリリースしていくようになります。

自分から発信できる仕事の幅が広がった安室さんですが、それでもなお「本当に自分自身がやりたいことは何か?」と常に疑問を感じていたようです。

そんな疑問に答えてくれたのが、ZEEBRAさんと今井了介さんが立ち上げたプロジェクト「SUITE CHIC」への参加でした。

 

迷いが吹っ切れた2003年以降は、売上げやランキングにこだわらなくなっていきます。

「メディアに媚を売ってまで人気を回復させようとは思わない」

そう語る安室さんは、以前にまして仕事に充実感を感じていたようです。

ライブスタイルは、MCなし歌とダンスパフォーマンスをぶっ続けで繰り広げるスタイル。
本気で観客に挑む安室奈美恵さんにファンは圧倒され、釘付けになります。

その言葉通りに安室さんは自分のやりたい音楽を追及していきます。

・2004年、アジアツアーの成功。

・2006年のアリーナツアー「amuro BEST tour LIVE STYLE 2006」では追加公演、追加公演で史上最大の観客動員数を記録。

・2008年には、シングル「60s70s80s」が9年ぶりにオリコン1位に。

・同年リリースシタベストアルバム『BEST FICTION』がミリオンセラーを達成。

・2009年リリースの「PAST<FUTURE」、2012年リリースの「Uncontrolled」が、日本、台湾、韓国、中国、シンガポールのアジア5カ国で1位を記録。2作連続アジア1位は、日本人アーティスト史上初の快挙。

 

輝かしい偉業を次々と達成し、完全復活を遂げます。

時代はすっかり安室奈美恵さんの味方となりました。

エピローグ

いかがでしたか?
デビューからの軌跡を取り上げてみました。
波乱万丈な半生があったからこそ、今の安室奈美恵さんがあるのだと感じました。

「コンサートは真実の自分が出る場所。あれが私のすべて。」

 

その言葉通り、全力でライブをこなす安室奈美恵さん。
だからこそファンは魅了されるのでしょうね。

これからもカリスマアーティスト安室奈美恵として不動の地位を確立していってほしいと思います!

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