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昭和の大スター!ジュリー・沢田研二さんの現在の活動を紹介!

昭和を代表するスーパーアイドルの沢田研二さん。現在も現役で頑張っておられますね!現在の沢田研二さんがどのような活動をされているの、ジュリーをご存知の方なら気になりますよね。そこで、画像も交えて、今の沢田研二さんの活動についてまとめました!

昭和のスター!沢田研二さんとはどんな人物なのか!

男性でありながら、化粧やアクセサリーをつけて演出することは、今では珍しくありませんよね。
しかし、日本のお茶の間にそれを浸透させたのは、沢田さんなのです。




愛称 ジュリー
1948年6月25日生まれ
鳥取県鳥取市出身
京都府立鴨沂高等学校中退
職業  歌手、俳優、作詞・作曲家
レーベル JULIE LABEL(2002年~)
所属事務所 ココロ・コーポレーション(1985年~)

ザ・タイガースでデビュー!アイドル沢田研二の誕生です

ザ・タイガースで活動されていたころの沢田研二さんです。
美しいというより、愛くるしい、正にザ・アイドルという印象ですね。
1967年にデビューされ、セカンドシングルの「シーサイド・バウンド」で人気はうなぎのぼりとなっていきました。
1971年の日本武道館でのコンサートを最後に解散しました。

アイドルから一転!本格的なニューロックを目指す

ザ・タイガースを解散した後、PYGというバンドで活動されます。
PYGでは、萩原健一さんと沢田研二さんの二人でボーカルをしていました。
アイドルのタイガースとは違ってPYGは、本格的なロックを目指しましたが、日本でのロックに対するイメージがあまり良くなかったためか、活動時期は1971年から1972年と短かったですね。

ソロとしての活動が始まり全盛期を迎えます!

そしてPYG活動中の1971年にソロとしてもデビューします。
沢田研二さんの全盛期と言われる時期です。
オリコンでの1位獲得や、日本歌謡大賞受賞、イギリス・フランス・ドイツ・ベルギー等々海外へと活動の場を広げたり、功績をあげだすときりがないですね。

日本でグラムロックをテレビで見せてくれたジュリー!

魅惑的という意味のglamourousが語源といわれるグラムロックの日本での先駆けは、ジュリー!つまり、沢田研二さんでした。
今でいうと、最近、活動を再開された、THE YELLOW MONKEYさんも、グラムロックです。

昭和50年代に、男性なのに化粧をしたり、衣装に羽毛のマフラーや、ポリス帽等、それまでには無いスタイルを確立されていました。煙草を吸ったり、ウィスキーのポケットボトルを呑む演出等、ほくろを魅力的にみせる為に帽子を斜めにかぶったり、退廃・エロティシズム等、演出力が素晴らしいです。

現在の沢田研二さんの画像はこちら!

こちらは、沢田研二の現在の写真です。
面差しは、ふっくらされましたね。しかし、ネクタイの着崩した様子などは、以前と変わらず、やはりジュリー!という感じです。

全盛期の沢田研二さんが美しさを保つためにしていた影の努力

妖艶な美しさ!素敵ですね!
しかし、その美しさには影の努力がありました。
当時、沢田さんは食べ過ぎていると感じると、「ちょっと吐いてくる」と言っていたそうです。

沢田さんはスリムな体型を維持するために、かなりストイックなやり方をされていたのですね。もともと食べることが好きだという沢田研二さん。しかし、美しさを追求するプロ意識も高くもたれていたのでしょう。

あんなにスリムなジュリーは実は太りやすい体質だった!

太りやすい体質だった、沢田研二さんですが、グラムロックのイメージを大切にし、かなりストイックな生活を続けていました。

しかし、50代になったころから、少しずつ、変化がでてきます。

現在の沢田研二さんへのシフトチェンジ!

沢田研二さんはデビューしたての頃が48kg。そして昭和50年代のソロ全盛期でさえも、57kgでした。
身長は171cmという沢田研二さんです。
体重が60kg無いということは、筋肉量が少ないと想像できます。
つまり、基礎代謝が低いので、活動量が落ちてしまうと、太りやすくなってしまうのです。

なるほど!食事制限のみによる体型維持の落とし穴ですね。
ただ痩せるだけではなく筋肉をつけて代謝をあげておかないと、その後の生活の変化で体型は大幅に変わってしまう可能性が高いのですね。
食事と運動のバランスはとても大切だけど、そんなことを考える暇もないほどの過密なスケジュールの中、沢田研二さんは、私たちに輝きを見続けさせていたのですね!

沢田研二さんの高すぎる美意識からのストイックさは若さの象徴!

何よりもアイドルという象徴をジュリー自身は、外見でも創り上げるために、高い美意識をもちストイックな生活へを走らせていたのかもしれません。
若さというパワーを基軸に高い美意識を自分へと課していたのでしょう。

ですが、年齢を経ていくうちに外見だけの美しさだけではなく、中身の充実!これを知って行かれたのでしょうね。グラムロックはスリムじゃないといけないのか?この質問に以前のジュリーなら「YES!」と答えたことでしょう。
でも、現在の沢田研二さんには、「それだけではない!」という確信があるように感じます。
ロックとは何か?自分とは何か?年を重ねるごとに、その考えは熟成していくものです。

「2015 沢田研二 正月LIVE」での出来事

「正月 LIVE」の内容とは!?

東京・名古屋・大阪で、6公演
「昭和90年のVOICE∞」の最終日は特に往年のファンも集い、熱いステージとなりました。

1曲目は「LOVE(抱きしめたい)」
それ以降は往年のヒット曲ではなく、現在歌っている歌を披露しました!

沢田研二さんのコンサートに来場されたファンの中には

「お腹の回りについたぜい肉が玉にキズだったけど、ふなっしー顔負けで何度も跳びはねたりと精力的に動いていた。本人は新曲を出し続けているし、現役感をアピールしたかったのかもしれないけれど、やっぱり、私たちが聞きたかったのは昔の歌なんですよねえ」(別の60代女性)

出典:http://blog.livedoor.jp

「私が知っていたのは『君をのせて』と『6番目のユ・ウ・ウ・ツ』ぐらい。『TOKIO』も『危険なふたり』も『勝手にしやがれ』も歌ってくれないんだから! 昔のジュリーの歌が聞けると思ってきたのに拍子抜け」(60代女性)

出典:http://blog.livedoor.jp

現在の曲だけではなく、「勝手にしやがれ」とかも聴きたかった・・・

なんてことを言う方もおられたようです。
往年のファンの方々にとっては、現在の曲も当然ですが、自分たちの青春時代に聴いていた名曲の数々もやはり聴きたいものですよね。
そうなると、少し言葉に棘のある方もでてくるのかもしれませんね。

LIVE中のMCでは政治の話も飛び出します!

2時間近く歌い続けたジュリー(2時間も歌い続ける体力はすごいですね)
最後のMCでは、「イスラム国」の日本人人質事件にも触れつつ、「皆さん、大変な事態になりました。日本の将来を憂うのではなく自分自身の頭と心で考えなければなりません」と、確かにその通りです。
MC中に、客席から「歌って~!」という黄色い声援も飛んできました。

その時の沢田さんは、間髪入れずにステージ上から、「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」と大きな声でファンへ怒鳴りつけたのです。
体型維持へのストイックさなんて関係ないですね!ジュリーはやっぱりジュリーです。せっかく歌を聴きに来てくれたファンに対してそんな態度をとるなんて!と思われるかもしれませんが、ジュリーは、沢田研二さんは、そういう方です。
それこそが、変わらぬ沢田研二さんだといえるのではないでしょうか。

現在の沢田研二さんは以前と変わった?

沢田研二はMCを遮られることを嫌う

音楽関係者曰く、このような事は過去にもあったようです。
沢田研二さんは自分が話している時に遮られることが大嫌いなんだそうです。
キツイ印象を受けるかもしれませんが、自分の考えや言葉に自尊心を持っているともいえます。

コンサートの構成は全面的に沢田研二のやりたいことをやる

沢田研二さんのコンサートは、沢田研二さんがやりたいことをやる!構成となっています。
往年のヒット曲「勝手にしやがれ」や「TOKIO」などのヒット曲をやらない。
過去の曲を現在のコンサートで歌う事はしたくないようです。しかしただ単に嫌だから、ということではなく、それには理由があるようです。

「昔の楽曲の版権を沢田さん自身が持っていないので、仮に往年のヒット曲が再びブームになってCDが売れたとしても、沢田さんのもとにはお金が入らない。ということは、今いるスタッフには恩恵はないということ。自分のことだけじゃなく、スタッフのことも考えている。まあ、その辺はかなりシビアな性格をしている」とレコード会社関係者

出典:http://www.tokyo-sports.co.jp

実は、沢田研二さんは現在一緒に仕事をしているスタッフの事も思って選曲をしているのですね。
ただ好き勝手な行動をしていたわけではないのです!
しかし、「黙れ」「帰れ」はやはり語調が強すぎる気もしますが、それも含めての沢田研二さんなのでしょう!

沢田研二さんのこの先は!?

沢田研二さんの印象について、変化を感じるファンもおられるかもしれませんが、コンサート会場はいつもにぎわっています。過去だ現在だと気にすることなく、沢田研二というアーティストのコンサートに満足しているということなのでしょう。ファンへのきつい言葉もファンは愛情をもって受け止めている。そんな沢田研二さんですから、いつまでも現役で走り続けていてくれるのでしょう。そんな姿勢にはプロとしてのカッコよさを感じます。ファンがついてきてくれる限り沢田研二ことジュリーは、昔と変わらない永遠のスターであるのでしょう。

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