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2023/12/28
大今里
2018/03/30 更新
1998年「幸福論」でデビューし、罪と罰でその独特で過激な表現が人気を集めた椎名林檎。数々の楽曲の中で、オリコンシングルチャート最高4位を記録し、累計54万枚を売り上げた椎名林檎の「罪と罰」の歌詞に注目し、その歌詞の意味を辿ってみたいと思います。
椎名林檎(しいな りんご)
本名:椎名裕美子(しいな ゆみこ)
生年月日:1978年11月25日生まれ
出身地:埼玉県浦和市(現さいたま市)
レーベル:1998年~ 東芝EMI
2007年~ EMIミュージックジャパン
2013年~ ユニバーサルミュージック
主な受賞歴
2000年「勝訴ストリップ」日本ゴールドディスク大賞ロックアルバムオブザイヤー
第42回日本レコード大賞ベストアルバム賞
2008年 映画「さくらん」で第31回日本アカデミー賞音楽賞・優秀音楽賞
香港国際映画祭主催・アジアン・フィルム・アワードに作曲賞でノミネート
2009年 芸術選奨文部科学大臣新人賞・大衆芸術部門に選出
2016年 SPACE SHOWER MUSIC AWARDS BEST FEMALE ARTIST賞
紅白歌合戦出場歴
2011年、2014年、2015年、2016年、2017年
この「罪と罰」は「ギプス」と共に椎名林檎の2作目のスタジオ・アルバム「勝訴ストリップ」からの先行シングルとして2000年1月に同時発売された曲で、当時、過密スケジュールから過労による急性化膿性炎症を発症したことこら活動休止を余儀なくされ、自宅療養中に歌詞が作られたものだそうです。
これを椎名林檎本人は、「歌詞は病棟での日記ですね。病気になっちゃったのは罰なんだって自分を責めている。その気持ちが振り切れちゃっている。いっつも人の言う事を聞かないからこうなった。」と語っています。
どうやらこれだけを聞くと、後悔の念が滲み出ている感じがします。
そして「罪と罰」が収録されているアルバム「勝訴ストリップ」に同じように収録されている「本能」の歌詞についてですが、椎名林檎は「「本能」の歌詞みたいな自己顕示欲とか嫉妬心とかの本能に対しての罰。だから「本能」と「罪と罰」は同じことをいってる。本能を肯定するか、罰だとするかという違い」とインタビューで答えています。
「罪と罰」「本能」は意味があって一つのアルバムに収録されているんですね。
罪と罰の作詞作曲は椎名林檎、編曲は亀田誠治と2人で行い、楽曲制作には椎名林檎が憧れていたという当時のベンジーこと、BLANKEY JET CITY メンバーの浅井健一が、椎名林檎の希望によりギターとして参加しています。
椎名林檎自身がギターを除いた罪と罰のデモテープを浅井健一に送り、お願いしたとか。
罪と罰の楽曲自体には重量感があり、椎名林檎が巻き舌と掠れ声で歌いことから、まるで1970年代のロック・バラードのようだと評されています。
巻き舌と掠れ声は椎名林檎らしさが出ていますよね。
オリコンシングルチャートには4位で初登場、その後11週続けてチャート・インし、売上枚数は累計54.6万枚でした。
また、プロモーションビデオも衝撃的なものでした。
椎名林檎が真っ二つに切られた1970年代に作られたベンツに乗って歌っているものですが、このベンツ、実は椎名林檎本人の愛車なんです。
いったいどこまで刺激的な人なんですか!?と聞きたくなりますが、安心してください。
この椎名林檎の愛車のベンツは故障が多くて廃車にしようと考えていたもので、それを知ったミュージックビデオの監督である木村豊が「じゃあ、PVで使おう」と提案したことから決まったそうです。
それでは罪と罰の歌詞の意味を紐解いていきましょう。
「頬を刺す朝の山手通り
煙草の空き箱を捨てる
今日もまた足の踏み場な無い
小部屋が孤独を甘やかす」
まず「頬を刺す朝」というところから、「今日もまた」とあるので、日常的に朝帰りが多いクラブのホステスのような、疲れた夜勤明けの頬に朝日が刺すという表現が読み取れます。それが山手通りですから、新宿や渋谷がイメージできますよね。
「夜の仕事が終わり、外へ出れば疲れた頬に朝日が刺す山手通り、煙草の空き箱を捨て、今日もまた足の踏み場も無いいつも通りの小部屋に戻る。そんな気だるさや寂しさを感じて光の見えない毎日を送る。」そんな意味ではないでしょうか?
「不穏な悲鳴を愛さないで
未来等 見ないで
確信できる 現在(いま)だけ 重ねて
あたしの名前をちゃんと呼んで
身体を触って
必要なのは 是だけ 認めて」
椎名林檎の叫び、掠れるような歌い方を、壊れているようで好きという評価をファンがしていることについて、椎名林檎はこの罪と罰の歌詞の中で、自分は壊れてなんかいないという意味を込めた歌詞が「不穏な悲鳴を愛さないで」に表現されているそうです。
そして当時は病で伏せ、ネガティブになっていたことから、ネガティブにならないで!と、自分自身に語りかけるような歌詞になっています。
「自分は壊れてなんかいない。先のことよりもまず、今という瞬間を重ねて生きていきたい。わたしはここにいるの。ちゃんと名前を呼んで、身体を触って、わたしという人間の存在を認めてほしい、ただそれだけ。」そんな意味が込められているように思えます。
「愛している 独り泣き喚いて
夜道を弄(まさぐ)れど虚しい
改札の安蛍光灯は
貴方の影すら落とさない」
付き合っていた彼氏と別れたようなシチュエーションが浮かぶような歌詞ですね。
愛していると独り泣き喚き、夜道を弄れ虚しい思いをし、帰ってくるかもしれないという淡い期待は儚く消えるというように受け取れる歌詞ですよね。
「Ah 歪んだ無常の遠き日も
セブンスターの香り
味わう如く 季節を呼び起こす
あたしが望んだこと自体
矛盾を優に越えて
一番愛しいあなたの声迄
掠れさせて居たのだろう」
無常とは、変わりゆく・はなかいという意味で用いられ、ここでは、「変わりゆくはかない人生」という意味にとれます。そして「味わうたびに季節(記憶)を呼び起こす」という意味にとれます。
「変わりゆくはかない人生が記憶の中で歪んだようになり、その記憶がセブンスターの香りで、その時の季節と共に思い出される。自分が望んだ事とは逆に一番愛しいあなたを苦しめてしまった。これは矛盾しているというレベルを優に越えている。」このような意味に感じます。
「静寂を破るドイツ車とパトカー
サイレン 爆音 現実界 或る浮遊」
まずこの罪と罰のPVに出てくるドイツ車とは先ほども記述したとおり、椎名林檎の愛社であるベンツを意味します。
「現実界」とありますが、これはどのような意味があるのでしょうか?
実は精神分析家で哲学者でもあるジャック・ラカンの造語にも「現実界」というものがあります。
人が誰かに何かを伝える手段は言葉しかありませんが、現実に起こっているできごとを言葉で表現するのは不可能であるという矛盾を抱えて生きています。言葉で伝えたくても伝えることができない現実をジャック・ラカンは「現実界」と呼びました。
椎名林檎がもしジャック・ラカンを意識しているならば、この事を意味していると考えられますよね。
では「或る浮遊」とはどのような意味なのでしょうか?
これもラカン同様に哲学者であるクロード・レヴィ=ストロースが関係あるかもしれません。ストロースが唱えた「浮遊するシニフィアン」にある概念で、人間には「言葉」と「無意識」があるとしています。当時、文明人は自分達の文明化社会と、未開人の未開社会とを分ける基準の一つとして、言語使用能力を基準にしていました。そこで文明人は未開人を差別することがあったわけです。しかし文明人にも未開人にも「無意識の言語」が共通してあるので、差別することはいけない。人間の無意識の構造こそが人類の普遍的なものであると主張します。
もし椎名林檎が罪と罰の歌詞を作るにあたり、このストロークを意識しているのであれば、差別を反対するメッセージを社会に発したいとの意味があるのかもしれません。
歌詞がすごい「罪と罰」ライブ動画
歌詞にそんな深い意味が込められた「罪と罰」のライブ映像がこちら。全身で歌い上げる椎名林檎に見入ってしまいます。
罪と罰という歌の歌詞に込められた意味は、人それぞれ生まれながらにして様々な環境(貧困層など)で様々な経験(差別など)をする中で、誰にも言葉で伝えることができない、表現することができない孤独感を抱えています。自己顕示欲から人を傷つけるような罪を犯し、その罰に耐えて生きていくこともあります。生々しい人間という生き物の本質を罪と罰の歌詞にしたという事が言えるかと思います。
椎名林檎の「罪と罰」は現代社会に訴えかける曲と言えます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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