【懐かしい!】昭和の歌姫 美空ひばりの思い出がつまった記念館!

昭和のスター美空ひばりさんが亡くなってから25年以上が経ちます。そして、美空ひばりさんが心安げる場所として愛してやまなかった自宅が記念館となり拝観可能となっています。一度彼女の思い出と共美空ひばり記念館をご紹介したいと思います。

美空ひばりさん プロフィール

美空ひばりさんこと本名加藤和枝さんは神奈川県横浜市で1937年に生まれました。

美空ひばりさんのお父さんである加藤増吉さんが出征時に皆の前で歌を歌い、皆が感銘を受けているのを目の当たりにし、美空ひばりさんのお母さん喜美枝さんは美空ひばりさんの歌の才能に気がついたのです。

若干8歳で公民館や銭湯で初舞台を踏み、全国を巡業して回るようにまでなりました。

その後美空ひばりさんが生涯師匠と呼び尊敬してやまない川田晴久氏と出会い、12歳で本格的に歌手としてデビューします。

デビューした当時は、美空ひばりさんの子供離れした歌い回しや歌の表現を好しとしない人もいましたが、精力的に活動し続けました。

1949年頃映画などでブギウギを歌う美空ひばりさんが注目され、映画『悲しき口笛』では主演も務め、同主題歌も大ヒットとなったのです。

また1955年あたりから東宝映画に出演したのをきっかけに、江利チエミさん、雪村いづみさんとともに「三人娘」と呼ばれ国民的人気を手に入れたのでした。

その後活動の場を映画から舞台に移し、座長として精力的に活動しました。

しかしながら持病であった肝硬変が悪化し、特発性間質性肺炎にて1989年享年52歳で皆に惜しまれながら亡くなられました。

尚、息子の加藤和也さんは、美空ひばりさんの実弟の子供で、美空ひばりさんの養子となり、肉親として、またはひばりプロダクションの社長として、ひばりさんを影からずっと支えてきました。

結局美空ひばりさんは生涯の中で170本以上の映画に出演しそのほとんどが主演というものでした。
また生涯のレコーディング曲は1500曲にものぼります。

美空ひばりさんの短かった結婚

人気絶頂だった1962年には雑誌の対談で知り合った日活大スター小林旭さんに美空ひばりさんがほれ込み、結婚しました。

結婚後は仕事は控え妻として家庭を守るも、歌の道を捨てきれず、2年あまりで離婚となりました。

実際には二人は籍は入れていませんので、美空ひばりさんは戸籍上は、生涯独身となっています。

美空ひばり記念館

京都嵐山に1993年から2013年の間「美空ひばり館」が開館し、彼女の愛用の品々が展示されていましたが、客数の減少により閉館しています。

その後、2014年に新たに東京都目黒にあった美空ひばりさんの生前の自宅が「美空ひばり記念館」としてオープンされました。

記念館がオープンした際には、美空ひばりさんと生前親交が深かった女優の中村メイコさんや歌手の郷ひろみさんなど、多くの著名人が記念館のセレモニーに駆けつけました。

美空ひばりさんは、現在記念館となっているこの場所で1973年から亡くなる1989年までここで暮しているので、この場所はいわば、美空ひばりさんの思い出がいっぱいつまった記念館にふさわしい場所なのです。

見学者は記念館の見事な庭を散策できるほか、ガラス越しに洋間を眺めたり、和室で美空ひばりさんが生前好んだお茶を楽しめるサービスなどがあります。

美空ひばり記念館 アクセス

美空ひばり記念館への行き方は、電車が便利です。
地下鉄日比谷線 中目黒駅から徒歩 約8分、あるいは東急東横線 代官山駅から徒歩 約7分ほどで記念館に到着できます。
記念館には駐車場はありませんので、車でのご来館は不便です。

記念館での見学は完全予約制で、電話かwebでご予約できます。

見学時間は1回30分となっており、記念館は一般の自宅として建てられていたため、そう多くの方が一度に記念館内を見学することはできず、定員6人となっています。

入館料は大人1500円、小中高生500円です。
館内に障害者用のトイレなどはありませんので、ご注意ください。

美空ひばり記念館 まとめ

美空ひばりさんの人生を振り返ってみると、本当に昭和の歌姫にふさわしい人生でした。

たくさんの人に惜しまれながら、美空ひばりさんは亡くなってしまいましたが、彼女が亡くなってからも科の徐の歌声はしっかりと私たちの心の中に刻み込まれています。

そして、美空ひばりさんを偲ぶ場所として、『美空ひばり記念館』があります。
ぜひ、一度記念館に足を運んで彼女の面影を探してみてください。

関連するまとめ

このまとめに関するまとめ

このまとめに関するキーワード

キーワードからまとめを探す

アクセスランキング

最近アクセス数の多い人気のまとめ